2009年9月28日月曜日

定まらない心

心が定まらない人たちはある特徴があります。それは聖書で書かれているルベンとカドの部族とマナセ半部族の特徴です。その特徴は彼らの偶像を打ち壊すことやこの世に死ねない事です。彼らの名前もそのことを示しています。
ルベンは「見出す子」という意味です。彼はヤコブの初子でありましたが、彼は情欲によってその嫡子の資格を失いました。ヤコブはルベンをこのようにあらわしています。沸き立つ水のようだから、もはや、すぐれた者ではあり得ない」。ルベンは自分の父の側女と寝たので、ヤコブは死の床で「あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが寝床に上った」(創世記49:4)と言っています。

ルベンは現世的-情欲、物欲、快楽-に世を見ています。彼は心が定まらなかったのでいつも優柔不断であって、その霊は彼の子孫に受け継がれました。そして、後に彼の部族はこの世に契合して、妥協してしまいます。

カドは「機会主義者、傭兵」を意味します。 言い換えれば、その名は傭兵、雇われの兵士を意味します。モーセはガト部族についてこういっています。「 彼は初穂の地を自分のために選んだ…。」(申命記33:21)この部族は外面的には従順であり、主の詔を行うように見えますが、本心は自己中心です。カド は自己満足の虜になっており、自分を満足させる為にそう行動せざるを得なかったのです。

カドの考えは「主の兵として戦い、神が望まれるすべてのことに忠実であろう。しかし、先ずは私にも生活がある。私は私と家族が必要なのを先に得て、その後に主のことをしよう」。

次にマナセです。マナセは「忘れる、等閑に する」との意味があります。彼はヨセフの初子でありまして、嫡子の権利があります。しかし、年少の時既にそんな兆候があり、ヤコブは彼の本質を霊にあって 見極めました。マナセはいつか父ヨセフの生き方を忘れ、主の命じた法を等閑にします。

この様な心の定まらない傾向を考えて見ま しょう。霊的責任にどっちつかずで、、神のことに全力を注ぐことなく、生温く、情欲に弱く、自分がまず先で、御言葉を等閑にし、主の戒めを真剣に考えるこ となく、神を信じる代わりに自分で物事を決め、祝福と導きを忘れ、自分の密かな偶像を捨てる事が出来ず、自分の選択を正当化し、全てに死ぬ事を拒み、いつ もグレイゾーンに引き返してしまう人たちです。

主の全き満たしを得ましょう。神はあなたが安息の場所、聖霊にあって平安で喜び合って欲しいのです。それが「心をつくして、力をつくして」神に従うに求められる事なのです。