2009年9月16日水曜日

自分を許すことを学ぶ

私にとって許しにおいて最も難しい事でした。クリスチャンとして私達はこの世へ主の恵みのことを語ります。しかし、私達自身にはその恵みの豊かさに預かろうとしません。

ダ ビデが不倫を隠すためにその相手の夫を殺しました。彼の罪が明らかになった時、ダビデは悔い改め、主は預言者ナダンを送りダビデに言いました。「あなたの 罪は許されました」。しかし、ダビデ自身が罪が許されたのを知っていても彼は喜びを失いました。彼は祈ります。「わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなた が砕いた骨を喜ばせてください。…あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」(詩編51:8,12)

何 故、ダビデはそんなに落ち込んでいたのでしょうか。主は彼を許しまして、神の許しの約束を頂き平安を得たと思います。しかし、あなたの罪が神の本から消さ れたにも、あなたの記憶からはそれは消されるとは限りません。ダビデは自分の罪を知っていて、良心の呵責を止めたいのでこの詩編を書きました。ダビデは自 分を許せませんでした。それで、彼は許さない心-自分に向けた許さないを持っていたので、その弊害も同じように被ることになったのです。喜びを失う弊害で す。主の喜びは神の許しを全く受ける事から実を結ぶのです

私はハドソン・テイラーの伝記に大いに感銘を受けました。テイラーは歴史上最も効果的な宣教師の一人でした。中国の内陸で幾つかの教会を立てた祈りの人、神の人でした。彼は何年間を喜びなしで働きをなして、自分の不信仰の密かな思いに絶望して、苦しんでいました。

1869 年、テイラーは考えられない変化を体験しました。テイラーはキリストが全て必要とするものは用意しているが、彼の嘆きや懺悔がその用意された祝福を齎さな い事を見ました。テイラーはキリストの満たしを受ける唯一の道は信仰のみであると気づきました。神が人にした全ての約束は信仰を必要とします。ですからテ イラーは信仰を増そうと思いましたが、その努力も空しいものでした。終に、暗闇の中で聖霊様は彼に啓示を与えられました。それは信仰は努力する事から来る のではなく、神の約束に休まる事から来ることでした。それがキリストの祝福を受ける秘訣でした。

テイラーは、キリストが既に海に投げ込んだと言われている罪について、自分も許しましました。彼は、神の約束にあって平安を得て、自分の重荷を主に委ね続け喜びのある僕となりました。