2009年9月7日月曜日

賢い乙女のように

「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった」。(マタイ25:1-2)

もしあなたが自分に正直であるなら、この言葉に納得せざるを得ないでしょう。「そうです。この話は私のことです。私は怠惰になっています。愚かな乙女たちのように迷い出したくありません。私は主の日に備えたいと思います」。

もし、あなたが賢い乙女となりたいのなら、二つのことをしなければなりません。複雑なことではありませんが、欠けることはできません。

1.キリストをあなたの考えの中心に立てなさい。主があなたのすべてとならしめなさい。朝起きたら、御名を唱えなさい。世に床に就くとき、キリストを跪き呼びなさい。

「最 後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳とい われるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい」。(ピリピ4:8)この御言葉が一日中あなたの素直な祈りの基本とさせてくださ い。「イエス様、あなたは真実、誠、義、純潔、いとおしい方です。あなたこそ私の福音です。」

パウロは書いています。「 主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」。(1コリント3:20)神はあなたのすべての考えを知っておられます。あなたが神を考える毎にそれを知っておられます。ですからあなたのすべての考えをもって感謝を捧げて下さい。

2. いつもこう祈ってください。「主よ、罪人である私を哀れんでください。」
こ の簡単な祈りがあなたの灯火の油となります。これを毎日祈ることによってあなたが主に会える用意ができるのです。あなたは神に「父よ、私はあなたの名を呼 ぶに相応しくないものです。私を哀れんでください。私は自分で考えていた程、正しい人ではありません。私は自分が善人であると思いましたが、この自分の 薄っぺらな善は何の役にも立ちませんでした。ただ、それはあなたの目に薄汚れた汚いものに過ぎませんでした。自分の良き業によっては私は救われないでしょ う。恵みが必要です。主の前に謙ります。罪人の私を哀れんで下さい。」