2009年9月17日木曜日

私達の信仰

私 は、人々が信仰を失い希望を無くすと思います。人々は沢山のメッセージを聞き、多くの本を読みますが、自分の周りには破船したような信仰の例しか見ませ ん。嘗て信仰を持っていたクリスチャンでも、今やその苦悶の中で神に対する彼らの信頼を捨てようとしています。では希望はどこから得るべきでしょうか。御 霊ははっきりした言葉で私に語りました。「あなたは自分の信仰に錨を置きなさい。全てに、いつも神を信じる心を持ちなさい」。

私 達の信仰を「置く」と言っていますが、「置く」とは「安定させる」、「揺るがないようにする」、「基礎柱を置く」、「基礎を置く」との意味を持っていま す。聖書は私達がそれが出来るといっています。ヤゴボ長老は書いています。「疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何 かをいただけるもののように思うべきではない」。(ヤゴボ1:7)

こ の聖句で、主は信じる者の責務を示しています。神様はこう言っているのです。「この世が、怖れ、慄きの日にわが民を見るとき、彼らはわが民のうちに信仰を 見出さなければならない。全てが揺り動く時、信仰が堅く、揺らがないべきある。だから、あなた、信仰者よ、信仰を錨付けなさい。あなた、クリスチャンよ、 固く立ちなさい。動き回ってはなりません」。

こ の世はもっと信仰のメッセージが必要なのではなく、信仰を目撃することが必要です。この世を前にして信仰に生きる兄弟姉妹の歩みを見ることです。彼らは神 の僕が災いを彼らと同じように体験しながらも揺るがないことを見る必要があるのです。そうすることによって、罪人らは揺らがない信仰の力強い証を目の当た りにすることが出来るのです。

ダビデはこのことを詩編でこう書いています。「あなたに寄り頼む者のために/人の子らの前に施される」。(詩編31:19) 彼は暗闇の中にいる人達への希望の光となる強い信仰にあって歩む信じる者達ついて語っているのです。

あなたが全ての重荷や試みをキリストに委ね信仰を錨付けた時、信仰によって全てをキリストの足元に置く時、あなたは激しく試されます。

嘗 て私が耐える信仰のプロセスにあった時、主に真全ての私の重荷を委ねた時、私は私を揺るがすある知らせの電話を受けました。一時、怖れの大水が私を覆いま した。しかし、その時、聖霊様は優しく私に囁きました。「諦めず、信仰を堅く保ちなさい。私が全てを統べ治めている。自分を堅く保ちなさい」。私はその時 私に流れた平安の大波を決して忘れる事が出来ません。その日が過ぎる前に、私の心は「私はあなたを信頼し、疑わなかった」ことに気づき、喜びに満たされま した。