2009年9月11日金曜日

愛は家族から

イエス様はヨハネの福音書15:6で私の妻や夫、子供たちをどの様に扱うかを示されました。独身の人達にはそれはルームメート、信仰の友、自分に近い人達をどの様に扱うかでしょう。

そ れには多くに説明は要りません。もし、私が神が示されたような夫となるなら、私の妻は天地を前に、世界を前に「私の夫はキリストの愛で私を愛しています。 彼には間違いも犯しますが、彼は辛抱強くなり、私を理解しようとしています。彼は益々愛しく、親切になっています。私と一緒に祈ります。それはうそではあ りません。彼は自分で言っているように行動します。」

も しこれが自分の妻の証ではないなら、もし彼女が自分の心に痛みがあって「私の夫は神の人といっているが、それは嘘である。」と言うならば、私の人生の全て は空しいものです。私の働き-説教、功績、献金、寄付、働きの為の旅-は何の価値もありません。私はキリストに似ると言う実を結ばない役に立たない、枯れ てしまう枝です。イエス様は周りの人に私が死んでいることを示され、私は御国で取るに足りない者となるでしょう。

あ る中年の牧師ご夫妻が相談に来ました。その牧師先生は泣いていました。「デビット、私は神と私の妻に罪を犯しました。私は不倫をしました」。彼は罪を懺悔 し、神にあってその罪を悔いていました。奥様はその時、言いました。「私は彼を許します。彼の悔い改めは本物で、神が私達を回復する事を信じます。」

私はそのすばらしい癒しを拝見できる特権に預かりました。私達は過去の失敗をやり直すことは出来ません。しかし、誠の悔い改めがあるなら、神は虫食って駄目になったものを回復すると約束しているのです。

私 は全ての夫婦がキリストにある夫婦生活を楽しみ、証できるよう願っています。「容易いことではありません。」結婚はクリスチャンの歩みがそうであるよう に、日々の努力です。十字架の道のように、自分の権利を日々放棄する事です。勿論、サタンはあなたの心がキリストに似ようと決めている事を知っていて、あ なたを次から次へと苦しめます。

夫婦生活のように難しく、激しいものはありません。そのことには卒業というものはありません。神は私達に明らかにしています。自分の愛する人達と一緒の人生が私達の試しの中心にあるのです。もし、私達がそこで間違うのなら、私達の歩み全てに間違うのでしょう。