2009年5月29日金曜日

私達の主イエスの尊い御名をもって挨拶します。

聖霊様は次の言葉を私に与えました。それは祈りが必要な人達、試みの時に助けが必要な人達、神の御言葉によって神の心を動かすに備わっている人達への言葉です。 

1.神が詩篇の46:1でした誓約を覚えて下さい。「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」。ここで「いと近き」と訳されていますが、それは「何時でも手に届く、使える」との意味です。信仰は、神の霊があなたの内に終日(ひもすがら)つながり続けるという確信の上に立たなければなりません。神があなたの内に住まわれる為に、あなたの全ての祈りの考えと叫びを悉く聞かれます。もし神が私達に聞くならば、神はきっと私達の願いを叶えるでしょう。真に聖霊は御父にその心を確かに注ぎだす神の子の為に天と地を動かすでしょう。

2. 詩篇の62:5-7を読んで信じて下さい。これは神の心に触れたダビデの祈りです。ダビデは要するにこう言っています。「神のみを待て。他の何の助けも期待するな。神だけがあなたの備え、あなたの唯一の希望と護り。神だけがあなたの答が来るまであなたに保つ力をあたえる」。

あなたが主だけにより頼むときあなたが人に助けを求めるのを辞めて、神の超自然の力を信じる時-何もあなたを揺るがし得ない。絶望の穴底に引き込ませる事はできない。ダビデは宣言します。「わたしは動かされることはない」。(詩篇62:6)

3. ここは最も重要なことです。古からの全ての聖徒が学んだ答えられた祈りの秘密です。主の御前に心を注ぎ出す事です。「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」(詩篇62:8) ハンナーを例に取りましょう。子が欲しい故に、彼女は自分の魂を主に「注ぎだしました」。そして、聖書は「その顔は、もはや悲しげではなくなった」。(1サムエル1:18)と記しています。

神はあなたに聞き、この世の全ての声を塞ぎ続ける覚悟がある時、答えられます。あなたの心の考えを叫びだして下さい。神の前にあなたの魂を注ぎだして、主が答える事を信じて下さい。聖書の例を倣って下さい。神が聞き、答えます。

2009年5月28日木曜日

キリストは御座に居られる。

しばしば人々は私にこう書きます。「私は話せる人が、私の重荷を分かち合う人がいません。誰も私の叫びを聞く時間を持ちません。私は自分の心を注ぎだす誰かが必要です」。

ダビデ王は多くの人に囲まれていました。彼は結婚をしており、大家族がいて、彼の傍には何人もの腹心がいました。しかし、私達は同じ叫びをダビデから聞きます。「誰に行けばいいのだろうか」。私達は、人の性として他の人が顔と顔を合わせ、実際見聞きして、アドバイスをして欲しいと思っています。

ヨブが試みに押し潰されようとした時、嘆きの内に叫びます。「ああ、わたしに聞いてくれる者があればよいのだが」(ヨブ31:35) 彼の友と言われる人の前でそう叫びました。しかし、その友はヨブの問題を思いやる事は出来ませんでした。返って、彼等が切望の伝令となりました。

悲痛の内、ヨブは主に向きました。「見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。わたしの友はわたしをあざける、/しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ」。(ヨブ16:19-20) 詩篇でダビデは神の民に同じようにすることを勧めています。「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」。(詩篇62:8) また、ダビデは詩篇142編にも書いています。

「わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。わが霊のうちに消えうせようとする時も、あなたは道を記されます。彼らはわたしを捕えようと行く道にわなを隠しました。わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、かえりみる人もありません。主よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。」(142:1-5) 

私はこの文があなたの魂をしばしば主に注ぎだせる密かな場所を見出せるべく聖霊さまが招くものであることと信じます。ダビデは嘆きを注ぎだしました。同じようにあなたもそうすることが出来ます。あなたはイエス様に何でも、あなたの問題や現在の試み、あなたの金銭状況、あなたの健康ことなど話すことができ、それにどれだけ振り回されているか、あなたがどれだけ落ち込んでいるかも話す事ができます。慈しみと愛をもって、イエス様はそれを聞くでしょう。

神様はダビデに答えました。神様はヨブに答えました。古から神は御自身の約束を信頼する全ての人の心の叫びに答えて来ました。同じように神はあなたに耳を傾け、導くと約束しています。真に神はあなたの力になるべく誓われてもいるのです。神に行きなさい。そしてあなたは新たにされます。

2009年5月27日水曜日

神はどんなときでも忠実であられる

私と妻グエンは最近忍びに耐えられなくなった女性と話しました。彼女の家族はとても苦しんでいました。彼女は毎日その家に漂う苦しみの暗雲に起ききしていました。彼女は主に絶えなく祈り呼ばわって助けを求め、彼女の友人達も彼女を取成しました。

しかし、何ヶ月が過ぎても物事は変わりません。希望の光の兆しが見えたと思えば、物事が前戻るどころか、益々悪くなっていきました。彼女は自分の信仰を啓蒙するべくメッセージを聞いたり、何か読んだりして、自分を保とうとしました。しかし、今や彼女は疲れ果てています。彼女は涙を流していました。眠れない夜が続いています。彼女は引き継ぐ苦しみや痛みが何故それだけあるかを聞く気力もありません。彼女は今ただ嘆きの暗いトンネルの果てに幽かな光を見出す事をただ望むだけでした。

彼女は言いました。「私は全て諦めてしまいたい。私は神様がせよとするものは全てしました。私は神様を信じ、求め、教会で信仰生活をし、御言葉を読みました。私は孤独で助けも無く、落ち込んでいます。私にはもう気力がありません。いつも私の全て従う努力に関わらず物事は悪くなるだけと言う考えに苛悩まされています。今、私には苦しみの終りはないので、こんな気持を感じる権利があるという考えと戦っています。」

私達は彼女とその家族の為に熱心に祈りました。彼女は戦いの中で弱くならないで、主が彼女を助け、励ますと信じます。しかし、彼女が絶望の中で仰ったことが私の魂の奥底の何かに触れました。沢山の神の人達は希望の無い所に行き着いて、悲しみの内に叫びます。「私にこの戦いを辞める権利がある。起こる権利、神に問い掛ける権利がある。何故神は私の叫びに答えられないだろうか。主は私を見過ごしたのだろうか」。

ヨブは絶望の中、叫びます。「四方からわたしを取りこわして、うせさせ、/わたしの望みを木のように抜き去り、わたしに向かって怒りを燃やし、/わたしを敵のひとりのように思われた。」(ヨブ記19:10-11) ヨブはそしてこう加えます。「彼はわたしの道にかきをめぐらして、/越えることのできないようにし、/わたしの行く道に暗やみを置かれた。」(19:8

どこか聞き覚えのある話ではありませんか。これがあなたの戦いですか。これがあなたの知っている人の話ですか。愛する皆さん、神は慈しみ深い方です。神はあなたの試みの中、あなたを見捨てたりしません。神はあなたが落ち込んで、傷付いていると表したからとてそれを責めたりしません。ヨブは彼の試みの時を経て希望の場所へ導かれました。あなたもそうなるでしょう。

「見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。退いても、彼を認めることができない。左の方に尋ねても、会うことができない。右の方に向かっても、見ることができない。しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう」。(ヨブ記23:8-10)

2009年5月26日火曜日

主の愛があなたに輝きますように

イエス様のこの御言葉が私の魂に触れました。「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。」(マタイ6:31-32)

イエス様は不信の者のように心配するなと戒めています。イエス様は心配事-仕事、家族、将来、生きて行く事等-は信じない者の道だと言っています。それは天の父を持たない人たちの態度と言っています。彼等は、天の父が彼等を想い、養い、愛する神として自分を知らしめたいと欲されていることを知りません。神は信じる者に神を全能者、創造者、全ての主である事だけを知らしめる事を良しとしません。神は御自身を私達の天の父のとして知らしめたいと願ってます。「あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。」(32)

「だから、あすのことを思いわずらうな。」(34) この単純な言葉によって、イエス様は私達に命じています。「だから、明日起きるかも、又は起きないかも知れないもので考えたり、心配したりしてはならない。あなたはそれを何も変えられない。心配したからとて助けにはならない。そのように心配する事は信じない者達がするだけである」。

イエス様はそしてこう続きました。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。(33) 他の言葉で言えば、私達はイエス様を愛し、全て私達が気にしているものをイエス様に委ね、イエス様の忠実さに安らぎを得るべきです。私達の天の父は私達の営みに必要な全てを与える事を気に掛けて居られるのです。

私は天使達が主を信頼すると告白する人達の心配や苛立ちに困惑しているのではないかと思います。天の者達に取ってみれば、私達があたかも天の父に慈しみがないと思い心配していることは、神を冒涜するように見えるに違いありません。天使達はこう問い掛けるのではないでしょうか。

「一人でいまし方が彼等を愛していると信じてないのではないか。その方は彼等に必要な全てを知っていると言ったのではないか。彼等が危ない時、御父は私達を送られるのを知らないのではないか。御父は鳥や魚、全ての動物を養い、飾って下さる事を信じないのではないか。神が全能であり、全ての富、被創造物の必要を満たす事を知りながら、彼等は如何に思い悩んだり、心配したりする事が出来るのだろうか。彼らの天の父が、御自身の言葉に真ではなく、自分達を置き去りすると責めることがどうして出来るのであろうか」。

私達が不平を述べ、恐れて苛立つ時、鳥は唄います。私達が苦しみの微風に萎み、屈まってしまう時、野の百合はその栄光を示し、堅く立っています。次の詩がその事を明らかに表しています。

鳥はその唱弾み君に言う

花は思い悩むが間違いと君を諭す

「元気をだせ」。

雀が謡う

「君の父が私を養う。

君の為、その愛しい子の為父はどれだけ成すだろうか」。

「怖がらないで」

花は囁く。

「きんぼうけも雛菊を装わすのに。怖いことがあるだろうか」

君は悩まざりや、悩みに悩まざりて

君の悩みは重ね、周りも悩みかりし

天にあなたの父が確かにいます。父を信じて下さい。

2009年5月25日月曜日

神は決して、私達を失望させません。

経済状況がどのようなものであっても、私達がどんな危機に出会うとしても、どのような悲しみや問題が私達の前にあるとしても、私達の豊かな主は私の歩み悉く導きます。

神はエジプトから導き出した者達を諦めました。彼等が神の慈しみの御手に奇跡的に導かれて、かえって疑い、神の御力を限らせてしまったからです。神様は難しい時に信じて欲しいのではなく、要求しておられるのです。それで聖書は不信仰について強く戒めているのです。私達はその不信仰が主を悲しませ、主が約束した祝福と良き業から私達を締め出します。私達の不信仰は全ての約束を効力ないものにしてしまいます。

ニューヨークの私達にとっては、これは死んだ論理ではありません。私達は毎日を生き抜く為に私達が語った事を実行しなければなりません。もし、私達が主の約束を完全に信じないで、内に居られるイエス様に頼らないなら、私達は恐れとパニックに何も出来ないでしょう。ここの市街は戦場のようです。人々はいつも恐れと危険の中で生きていて、ある人達は流れ弾に当たって死んだりしています。私達が支える人達に仕える犠牲は大きく、傷付いた人達が必要とするものは余りにも大きいのです。若し、私達が神の変わりなき約束に立たないのなら、私達は挫けてしまうでしょう。

しかし、私達は挫けません。恐れません。問題が山積みしているほど、私達は聖霊の力によって強められるからです。

2009年5月22日金曜日

神があなたの心にあなたの平安と平和を齎します様に

私は奇跡を信じます。

わたしの教会のクワイヤ メンバーであるお母様が自分の思春期の息子との為に何年も祈っていました。その思春期の子は深く罪に落ちていました。彼女は祈りました。「神様、あらゆる方法を使って、彼を救って下さい」。しかし、彼はキリストに近づく代わりに回教徒となってしまいました。次の7年間、彼はその教理を従いました。しかし、彼の母は祈り続けました。イスラム教はその子を鬱病にしてしまいました。彼は切望し、6階のビルから飛び降りて自殺を図りました。彼は足から落ちて、複数の骨折となりました。先週の日曜、足をビッコつかせながら、彼は聖壇の上で、イエスキリストが如何に奇跡的に彼を救い下さったかを話しました。彼の母はクワイヤの席に座り、神を祈りと涙の何年間を思い出しつつ、神を賛美していました。神は彼女の叫びを聞かれました。

今日神にその奇跡を感謝しなさい。

私の教会のあるティーンエイジャの男の子は神に彼を自分の高校で用いられますように祈りました.その高校はグラウンドゼロ-や、崩壊したツインタワー近くにありました。彼と彼の友人は毎日学校の外で声を上げて祈り始めました。ある子達は彼らを嘲りましたが、ある人達は彼等に加わりました。その活動は学校で聖研の活動を許されるに至りました。彼は喜びに満たされています。いまや先生らも参加しているようです。彼は言います。「私みたいにとるに足らない、引っ込み思案の者を用いる事を考えられますか。神は今も奇跡を行うのです。」 

 神に感謝します。神は今も奇跡を行うのです。

ある収監されている若者が書いた手紙が私に深く感銘を与えました。ここに奇跡があります。ここにその原文があります。

「デイビットさん、私は通信で説教を受けている者です。私はかの学校乱射事件の犯人です。わたしが乱射をしたその本人です。1997101日、私はパール高校を言って、二人を殺し、7人を怪我させました。その前にすでに私は自分の母親を殺しました。この刑務所に収監された後に、私は救われました。私が出来ることがあれは何でもします。私はあなたのメッセージを毎月楽しみにしています。」

そうです。私は神の奇跡を信じます。

2009年5月21日木曜日

サタンはあなたやあなたの家族を嫌がらせする権威は持っていません。あなたを救って下さると神を信じなさい。

神はその素晴らしい救いの力を、神を全く信じる者達に働かせます。信仰に 「よろける」、くよくよして心配したりする人はサタンの罠から決して逃れられません。

簡単な答えですが、多くはその事が出来ません。私達はこの生の叫びから私達を自由に出来る尊い約束が目の前にあるにも関わらず、乱れ恐れの中で生きます。神は私達の不信仰を最も忌みます。何故なら神の手を限らせて、私達が神の栄光の備えを楽しむ事を阻むからです。日々にこの祈りを最優先としましょう。「主よ、私の不信仰を許して下さい。子供のような信仰を下さい。」 

神を全く信頼しなければ、このニューヨークでどう生きて行けるのでしょうか。ここは問題が山積しています。何百万人がここには密集していて、暴力、麻薬、殺人、様々の病やエイズが蔓延しています。

毎日病気にかかったホームレスに仕えるミニストリーの働き人はそんな事を恐れていません。彼等は主が彼等を守り、彼等を強めて下さると信じています。

私は神に私達を神の管として何千の人達に触れる神の教会として用いて下さった事を感謝します。しかし、私達はただ教会を立てる為だけにここに来た訳ではありません。私達はイエス様がなさった事をする為にきました。それは貧しい、飢えている、家無き、麻薬中毒の、最も罪深い人達に働く事です。

私たちは、人の考えでは救いようのない人々にキリストの贖いの福音を齎す事を出来る様にして下さった神を、喜びます。既に沢山の人達が巷から救われており、益々多くの人達が救われるでしょう。

神はその御力が全ての悪しき力を統べ治めることを見せています。それをあなたの為に、あなたが直面している試みの中で用いられます。アーメン

2009年5月20日水曜日

主があなたを祝福し、保ちます。

 私がこの文について祈りました。私が、主の示しにより記しなさいと言われた事を祈っている際に、聖霊様は私にはっきりと私に囁きました。「神の民を力付けなさい。彼らに主が彼等をどれだけ愛しているかを語り、またどれだけその子等に喜んでいるかを話しなさい」。

このメッセージを読む沢山の人達に特別な言葉となると信じます。あなたは、特にこの時に、主があなたを保つ事を、そしてこの試みの時に於いてあなたを喜ぶことを、魂の奥底から聞く必要があります。あなたが個人的に聖霊様から受けるべきだと信じる言葉がこれです。

「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。」(箴言3:11-12) 

今あなたが愛の鞭を受けるにしても、それが御父はあなたを愛し、喜んでいる印である事を覚えて下さい。もしあなたがこの言葉を受けたなら-神はあなたを深く愛し、あなたを喜んでおられます。-あなたは主によって全てを益にされ、あなたの歩みは主に定められる事を知るでしょう。

2009年5月19日火曜日

あなたが主の臨在を楽しめるように私は祈ります。

ヘブル語の原語のある文に大いに祝福されたので、皆さんと分かち合いたいと思います。「あなたの法に離れた謀り者が私に近づく時、あなた、エホバはあなたの忠実な戒めをもって近くにいらせます。」-詩篇119:150-151 Helen Spurrel*(:翻訳者のHelen Spurrelの恣意的訳)( わたしをしえたげる者が/悪いたくらみをもって近づいています。彼らはあなたのおきてを遠くはなれているのです。しかし主よ、あなたは近くいらせられます。あなたのもろもろの戒めはまことです。口語訳参照)

悪しき権勢と力はダビデを囲み彼を挫けさせ、イスラエルを滅ぼそうとしました。しかし、神の人は仇が近くにいるからこそ、主がもっと近くに居られると信頼していると証しています。ダビデは神が彼の右手を取って、全ての仇の攻撃をくぐり抜けさせると言っています。

ダビデの証はあなたと私への素晴らしい約束です。私達は、サタンが主を愛する者達を挫けさせ、妨害し、滅ぼそうとすることは承知しています。私達の敵は力を尽くして、私達を切望させ、混乱させ、罪悪感に苛まされ、自己嫌悪に陥らせようとします。

あなたにそんな「謀る者」に攻め立てられますか。身を焦がす誘惑がありますか。試みですか。お金の問題ですか。夫婦関係、もしかして家族の問題ですか。仕事の問題ですか。もしその者があなたの周りであなたを滅ぼそうとするなら、安心して下さい。全能なる主がもっと近くに、あなたの傍にいます。(もし神が傍にいるとするなら、神は必ずあなたの為に働かれます。) 神がその子らの傍に居ながら、その愛する者達が悪魔に苦しめられるのを見過ごすとは考えられません。

詩篇68:1-4を読んで、もしあなたが神に信頼を置くなら、神があなたに約束したことが何であるか見てください。 この四節の御言葉を自分のものにして下さい。この御言葉を覚え、それに立って下さい。そうすれば、神があなたの敵を追うでしょう。

あなたが主の臨在を楽しめるように私は祈ります。

ヘブル語の原語のある文に大いに祝福されたので、皆さんと分かち合いたいと思います。「あなたの法に離れた謀り者が私に近づく時、あなた、エホバはあなたの忠実な戒めをもって近くにいらせます。」-詩篇119:150-151 Helen Spurrel*(:翻訳者のHelen Spurrelの恣意的訳)( わたしをしえたげる者が/悪いたくらみをもって近づいています。彼らはあなたのおきてを遠くはなれているのです。しかし主よ、あなたは近くいらせられます。あなたのもろもろの戒めはまことです。口語訳参照)

悪しき権勢と力はダビデを囲み彼を挫けさせ、イスラエルを滅ぼそうとしました。しかし、神の人は仇が近くにいるからこそ、主がもっと近くに居られると信頼していると証しています。ダビデは神が彼の右手を取って、全ての仇の攻撃をくぐり抜けさせると言っています。

ダビデの証はあなたと私への素晴らしい約束です。私達は、サタンが主を愛する者達を挫けさせ、妨害し、滅ぼそうとすることは承知しています。私達の敵は力を尽くして、私達を切望させ、混乱させ、罪悪感に苛まされ、自己嫌悪に陥らせようとします。

あ なたにそんな「謀る者」に攻め立てられますか。身を焦がす誘惑がありますか。試みですか。お金の問題ですか。夫婦関係、もしかして家族の問題ですか。仕事 の問題ですか。もしその者があなたの周りであなたを滅ぼそうとするなら、安心して下さい。全能なる主がもっと近くに、あなたの傍にいます。(もし神が傍にいるとするなら、神は必ずあなたの為に働かれます。) 神がその子らの傍に居ながら、その愛する者達が悪魔に苦しめられるのを見過ごすとは考えられません。

詩篇68:1-4を読んで、もしあなたが神に信頼を置くなら、神があなたに約束したことが何であるか見てください。 この四節の御言葉を自分のものにして下さい。この御言葉を覚え、それに立って下さい。そうすれば、神があなたの敵を追うでしょう。

2009年5月18日月曜日

主にあって喜ぼう。

ユダ書に、末の日がどれだけ悪しきこととなるか記されています。神はその聖徒と共に来られその悪しき行いを裁かれるために来られます。ユダは男がその卑しき欲情に身を任せ、嘲る者、淫らとなり、「自分の恥をあわにして」(ユダ13)と書いています。これらの言葉は堕落した淫行する者の群れが不自然な肉欲 (同性愛)に走ることを示しています。

今、米国だけがその道徳の基準を崩すのではありません。全ての道徳は崩れを成して全世界的に崩壊しており、サタンあらゆる背徳で人類を汚そうとしています。聖書の警告の時、悪魔が神の選民を誘惑する時が今です。 

使徒ユダはこの酷い、悪しき時の向こうに、何か輝く、素晴らしいものを見出しています。この背徳と退廃のただ中で、彼は御父の神に別たれ、キリストに保たれ、召された人々がいると証しています。

この世がどれだけ乱れても、マスコミがテレビや映画がどれだけ邪悪となっても、どれだけ悪魔崇拝が増えても、同性愛者がどれだけ自分の考えを社会に押し付けても、街を悪魔が闊歩したとて、神は神の子らを保たれます。神は御自身の為に、聖別された聖徒を保たれます。神は悪しき者から彼等を護り、そして彼等は信仰とその決心が益々かたくなります。神を信じない者らは滅びるだけです。

主の言葉を聞きなさい。「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。」(1テサロニケ5:23-24)

タビデは言います。「主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられないからである。正しい者はとこしえに助け守られる。」(詩篇37:28).「主よ、われらを保ち、とこしえにこの人々から免れさせてください。卑しい事が人の子のなかにあがめられている時、悪しき者はいたる所でほしいままに歩いています。」(詩篇12:7-8)

この使徒パウロの祈りが来る、悪しき、苦しみの時にあなたと私の祈りとなりますように。「主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。」(2テモテ4:18) 

 喜んでください。神を全く信頼する者達を神は護り、保たれると約束しておられます。

主にあって喜ぼう。

ユダ書に、末の日がどれだけ悪しきこととなるか記されています。神はその聖徒と共に来られその悪しき行いを裁かれるために来られます。ユダは男がその卑しき欲情に身を任せ、嘲る者、淫らとなり、「自分の恥をあわにして」(ユダ13)と書いています。これらの言葉は堕落した淫行する者の群れが不自然な肉欲 (同性愛)に走ることを示しています。

今、米国だけがその道徳の基準を崩すのではありません。全ての道徳は崩れを成して全世界的に崩壊しており、サタンあらゆる背徳で人類を汚そうとしています。聖書の警告の時、悪魔が神の選民を誘惑する時が今です。 

使徒ユダはこの酷い、悪しき時の向こうに、何か輝く、素晴らしいものを見出しています。この背徳と退廃のただ中で、彼は御父の神に別たれ、キリストに保たれ、召された人々がいると証しています。

こ の世がどれだけ乱れても、マスコミがテレビや映画がどれだけ邪悪となっても、どれだけ悪魔崇拝が増えても、同性愛者がどれだけ自分の考えを社会に押し付け ても、街を悪魔が闊歩したとて、神は神の子らを保たれます。神は御自身の為に、聖別された聖徒を保たれます。神は悪しき者から彼等を護り、そして彼等は信 仰とその決心が益々かたくなります。神を信じない者らは滅びるだけです。

主 の言葉を聞きなさい。「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたした ちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下 さるであろう。」(1テサロニケ5:23-24)

タビデは言います。「主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられないからである。正しい者はとこしえに助け守られる。」(詩篇37:28).「主よ、われらを保ち、とこしえにこの人々から免れさせてください。卑しい事が人の子のなかにあがめられている時、悪しき者はいたる所でほしいままに歩いています。」(詩篇12:7-8)

この使徒パウロの祈りが来る、悪しき、苦しみの時にあなたと私の祈りとなりますように。「主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。」(2テモテ4:18) 

 喜んでください。神を全く信頼する者達を神は護り、保たれると約束しておられます。

2009年5月15日金曜日

主の尊い御名で挨拶します。

この文を準備している時に、聖霊がはっきりと私に言いました。「人々に教えなさい。わたしの言葉で彼等を祝福しなさい」。私は「主よ、そうします。では、何を言えばいいのでしょうか。主がわたしの魂に正しい言葉を与えてください。」

  • ここに主から頂いた言葉があります。あなたがこれを受け入れ、悟って欲しいと思います。もしかして、あなたが特にこの時、神がこの言葉を与えたい人かも知れません。
    神はあなたが神があなたに語られたことを信じて欲しいと思われています。特に癒しと導きです。(ヨハネ4:48-50)
  1. イエス様は役人の息子が癒されると言いました。「彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った」。このひとは主の言葉を信じ、その瞬間彼の息子も癒されました。
  • 主はあなたの心の叫びを主にある多くの優しい慈しみに従って応えられます。主の時は完璧です。ですから、耐えてください。(詩篇69:13-14,16-18,32-33)
  1. この御言葉で「敵」という言葉を「悪魔の力」に置き換えて下さい。あなたの本当の敵はサタンであり、サタンはあなたの主にある歩みの願いを憎むからです。

  • ここにあなたに個人的に言葉があります。勿論、沢山の人がこの文から同じ言葉を受けますが、聖霊は同じ言葉を違う人達に、違う風に働くことが出来ます。
  1. 詩篇の145編に行って下さい。読む前に聖霊があなたに御言葉が直に語られるように特別な一節が示されるように願って下さい。

(14節が特にあなたに与えられた句ですが、御霊は他の句を示すかも知れません。)

神が聖霊により悪魔を抵抗し、戦う力を与えますように

2009年5月14日木曜日

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。

御霊が私に私が真に信仰によって祈らない限り私の祈りは虚しいとはっきり示しました。私は涙で、断食しながら、取成し、祈りに励むことが出来ますが、-信仰によって祈らない限り‐ それが主に聞かれると限りません。

神は信仰なしではお働きになりません。御言葉は「そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」と言っています。

主は私達に信じるように命じています。しかし、私達は神様をとても信じられないし、私達の心の叫びに応える神の意思と願いにあまりにも小さい信仰しかありません。私達が天に行ったら、どれだけの祝福、平安、力が私達に与えられながら、私達の弱い信仰の故に自分のものと出来なかったかに驚くでしょう。

聖霊はあなたの信仰が増し加わるように促すように私に強く示しました。主にあなたの不信仰の許しを請い、あなたの魂を、あなたの願いの真剣な祈りを叶えることが神の御旨であると信頼し切って下さい。

信仰を増し加えたいと思いますか。祈るとき、次の御言葉を用いて主に願って下さい。神は御自身の御言葉を否定しないでしょう。この御言葉です。

  • 詩篇62:8
  • 詩篇91:4
  • 詩篇56:3
  • 箴言30:5
  • エレミヤ29:10-14

信仰にだって下さい。神が近々応えられます。

2009年5月13日水曜日

主の素晴らしい名による挨拶

私は何日間か詩篇の142篇と143篇で黙想しました。あなたもこの力強い詩篇によってあなたの信仰が励まされることを望みます。

私はダビデが「わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます」。(142:3)と詠った時、どんな気持ちだったのだろうと考えました。彼は143:4でそのことを繰り返します。「わたしに心をとめる者はひとりもありません。」ダビデが実際に神様に「私は溺れかけています。私の敵が私を攻撃し、私を倒そうとしています。」 彼は主に叫びます。「どうか、わが叫びにみこころをとめてください。わたしは、はなはだしく低くされています。…わたしをひとやから出し、み名に感謝させてください。」(142:6‐7)

愛する皆さん、この言葉は私達がどうすべきかを書いたものです。試みと艱難に諦めようとする人達への励ましです。ある人はお金、返せないような借金の問題でしょう。沢山の人達が収支があってなく、寡婦や老人家庭は支払いがやっと出来るほどです。

人は私が批判的であり、余りにも否定的であると言います。人は悪い知らせを聞きたがりません。彼等は牧師が痛み、苦しみ、試みを語ったら耳を塞いでしまいます。しかし、私達が住んでいるこの世は時折そんなことばかり起きます。ダビデのように、私達は義に立っていても試みに遭います。私達は病や、愛する者達の死、混乱、途方に暮れる気持ちを耐えます。私達には私達の信仰に対するサタンの攻撃があります。

そして、その危機の時に私達は神を苦しみの中、求め、叫ぶ事を学びます。ダビデは言っています。「わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。」(142:2)「あなたの真実と、あなたの正義とをもって、わたしにお答えください。」あなたの状況がとても難しいのですか。ダビデがした様にして下さい。

わたしはあなたにむかって手を伸べ、わが魂は、かわききった地のように/あなたを慕います。(143:6)

わたしにみ顔を隠さないでください。… あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。(143:7-8).

主よ、わたしをわが敵から助け出してください。わたしは避け所を得るためにあなたのもとにのがれました。あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもって/わたしを平らかな道に導いてください。主よ、み名のために、わたしを生かし、あなたの義によって、わたしを悩みから救い出してください。(143:9-11)

力を出して下さい。神は統べ治められます。あなたの必要を時に当たって与えられます。

2009年5月12日火曜日

あなたの戦いは主の戦いである。(II歴代誌30:17参照)

この文を書く理由はあなたが戦っているのはあなたのではなく神のものであると気付かせるためです。もしあなたが神の子であるなら、あなたはサタンがあなたに敵対することは確かです。

II歴代誌20章では神の民に多くの兵が攻めた事を記しています。ヨシャパテ王とその民は主を求める、断食することを決めました。そして私達の多くが時折、私達の霊の旅路でしたように王も神に祈りを叫びました。「われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」。(20:12)「その時主の霊が会衆の中で臨んだ。…恐れてはならない。おののいてはならない。…主の戦いだからである。」

預言者イザヤは悪魔的力にこう警告しています。「あなたはだれをそしり、だれをののしったのか。あなたはだれにむかって声をあげ、目を高くあげたのか。イスラエルの聖者にむかってだ。」(イザヤ37:23)

神は今の私達に言うように、その民イスラエルに言います。「この戦いはあなたへではない。サタンはあなたが繋がっている主、我に対するものである」。神はサタンに言います。「わたしは、あなたの座すること、出入りすること、また、わたしにむかって/怒り叫んだことをも知っている。」(37:28)
あなたに聞きます。あなたの戦いは何処ですか。結婚関係ですか。仕事や事業ですか。あなたの婚約者ですか。あなたの健康ですか。あなたの戦いは益々激しくなっていますか。もしあなたがイエス様に心を委ね、主に心が繋がろうとするなら、あなたは悪しき者の怒りに直面しますが、この戦いはあなたのではありません。

戦いを終えるのは容易いことです。ただ、あなたの恐れと疑いに身を任せればいいのです。サタンは主への信頼を諦めた者は苦しめません。

そうです。戦いが主のものであっても私達には役割があります。それは全く希望が無く、不可能と見える状況の中で、主の約束を信頼し、信じ続けることです。「ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。」(イザヤ40:27)

信仰は全ての問題‐危機的状況、全ての恐れ、全ての焦りを主の御手に委ねることを要求します。そして、私が自分で出来る事をした時に、私は私の戦いは私が左右するのではなく、御手に全てを委ねなければなりません。

私達の主はサタンの憤りを知っています。私達はサタンが働いていることも信じなければなりません。神は私達が洪水と火の中を通らさせ、私達の全ての霊的敵を追い出します。神がなさることが聖書に記されています。「あなたが、わたしにむかって怒り叫んだことと、あなたの高慢な言葉とがわたしの耳にはいったゆえ、わたしは、あなたの鼻に輪をつけ、あなたの口にくつわをはめて、あなたを、もと来た道へ引きもどす』。」(イザヤ37:29)

もし、あなたが信仰に立っているなら、神に信頼し、その約束に平安を持ち、サタンが心に囁く全ての嘘を否むなら、神がその御霊によりあなたの状況に働き、あなたのその戦いを期待通り終わらして下さいます。神は天と地を動かし、あなたを救い、道を与えて下さいます。解決の道は信じ、信じ、信じぬくことだけです。「主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。」(詩篇46:9)

2009年5月11日月曜日

神の平安の内にとどまる

あるクリスチャンの御婦人が興奮した趣で私に来て、私にニュースを聞いたかを聞きました。パキスタンで情勢が不安定であるとの事でした。「信じられますか」。彼女は訊きました。「毎日が悪い知らせばかりね。パキスタンは原爆を持っているから、テロリストがとってとこかでそれを爆発させるよ」。彼女は頭を震わせながら言いました。「本当に心配だわ。不安でしようがないわ」。

今、人々はとても恐れています。イエス様が預言した「人々が周りで起きていることで人が居た堪れない」とことを今見ています。

わたしのメッセージを受けている方は知っていますが、私は住宅派生商品の危機を警告しました。それは近日に起きると、私は涙を持って警告しました。

では、神の心からの新しい言葉を授けましょう。励ましの言葉です。これらの恐ろしい報せがあっても 、「神は統べ治める方です」。

ここに、私達信仰者が吹き荒れる嵐に立った時、キリストが与えられた御言葉があります。「あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネ14:27)。問題はあります。しかし、神の御言葉が私達の力と望みとなるのです。

  • 「主はしえたげられる者のとりで、なやみの時のとりでです。み名を知る者はあなたに寄り頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を/あなたは捨てられたことがないからです。」(詩篇9:9-10)
  • 「それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。」(詩篇27:5)
私は災いの、恐れの日が迫っていると信じます。そして神の言葉を読み、主と交わり、祈らない人達の失望が増すことを見ています。神の御言葉は私達の魂を引き上げ、信仰を生みます。毎朝あなたの聖書を開くように自分を律して、神の尊い約束によって励まされ一日を始めましょう。主に、何時も話して下さい。そして聖霊にあなたの信仰と希望を強めて下さるように願って下さい。

この御言葉は私が日にいつも口ずさむものです。あなたもそれを宣言し、信じて下さい。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」。(1ペテロ5:7)

2009年5月8日金曜日

神に全ての賛美と栄光を

机に向かいあなたに恵みを分かち合える示しを求めた時、神様は御言葉を与えるように示されました。 

次の御言葉を皆さんと分かち合いましょう。少なくとも一つがあなたへ示されますように。私は神が私達が必要な時に特別な言葉を与えて下さる事を知っています。この御言葉は特にあなたに与えられたと信じます。

  1. 詩篇32:6-8:  このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にも/その身に及ぶことはない。あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。〔セラ〕わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。 
  1. 詩篇31:6-8:  あなたはむなしい偶像に心を寄せる者を憎まれます。しかしわたしは主に信頼し、あなたのいつくしみを喜び楽しみます。あなたがわたしの苦しみをかえりみ、わたしの悩みにみこころをとめ、わたしを敵の手にわたさず、わたしの足を広い所に立たせられたからです。
  1. 詩篇41:1-3:  貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。主は彼を守って、生きながらえさせられる。彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる。あなたは彼をその敵の欲望にわたされない。主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。
  1. 詩篇31:1,5:  主よ、わたしはあなたに寄り頼みます。とこしえにわたしをはずかしめず、あなたの義をもってわたしをお助けください。…わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました。
  1. 詩篇56:8,9,11:  あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に/しるされているではありませんか。わたしが呼び求める日に、わたしの敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。人はわたしに何をなし得ましょうか。
  1. 詩篇86:17: わたしに、あなたの恵みのしるしを/あらわしてください。そうすれば、わたしを憎む者どもは/わたしを見て恥じるでしょう。主よ、あなたはわたしを助け、わたしを慰められたからです。
  1. 詩篇88:1-3:  わが神、主よ、わたしは昼、助けを呼び求め、夜、み前に叫び求めます。わたしの祈をみ前にいたらせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。
 聖霊があなたに証する箇所を目印して下さい。そして、信じてください。神様があなたに送った言葉です。

2009年5月7日木曜日

神の深い慈しみと愛を感謝します。

聖霊様は私に神が戸を開く、または閉めることについて書くように導きました。誰かがそんな状況を体験しているから、自分のことかと思うでしょう。あなたの目の前に、その戸は閉まり続けているように見えます。それは若しかしてあなたの真剣なお金の問題かもしれません。あなたは何かの機会が開くように祈りましたが、全てが失敗し、その戸が開かれません。

あなたの閉められた戸が何か知れません。しかし、その当事者にとっては天の窓、戸がどちらとも閉められて、天は真鍮のようであなたの声は届かないように見えます。この閉ざされた戸は何かの問題、状況、あなたが祈るべき何かを意味します。それは若しかして奇跡以外には解決できない危機かも知れません。そして、あなたは未だに熱心な祈り、願いが叶えられていません。

黙示録では、キリストは御自身を「、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない」 と表しています。これは古代都市フィラデルフィアの信徒達に宛てたものですが、その教会は主の御言葉を忍び耐える、その御名を否まないことを褒められています。この人達は苦しみの時に神の御言葉に忠実であった人たちです。彼等は主が彼等を捨てたとか、耳を閉ざしているとは言いませんでした。

それで、サタンは偽りで彼等を攻撃しました。暗闇の力と権威、偽りの霊が闇から囁き神が戸を閉ざしているのに、神を礼拝する必要など、信仰を持つ必要などあるのか言います。しかし、その人達は微力でありながら、信仰を持ち続け、神が鍵を開くのを、忍耐を持ち続けました。全て閉ざされた戸を開く鍵を持ち、彼のみが私達の前に戸を開く方です。 

 主が彼らに約束した、(私たちの約束でもある)事がここに記されています。


「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(黙示録3:10)


試みの時が今私達に迫っています。信仰が激しく、火のように試される時が迫りつつあります。沢山の人達はその激しさの故に落ちていくでしょ。 

しかし、あなたは神の約束を信じ、その約束が成就するのを見なくても、神にあって死ぬ覚悟をしている人達です。あなたはこの世の誘惑を打ち勝つような人たちです。神は私の声を、叫びを聞き、時に相応しく戸の開け閉めをなさいます。ですから決して諦めたりしてはいけません。決して、決して疑わないで下さい。約束に立ってください。主は決して裏切ることはありません。

2009年5月6日水曜日

神の優しい慈しみを賛美しよう

私は激しい、苦悩の時を経ている人達に短い言葉があります。苦しみから平安を得ている人達、悲しみにいない人への言葉ではありません。勿論、そんな時を経て平安を得ている人達に感謝します。 

とても困難な状況にいる、悲嘆に生きている尊い人達が私に手紙を書いて来ます。離婚と麻薬と子供が関わったとか、服役中であるとか、配偶者の死に目にあったとか。主を愛している御婦人が火災で子供をなくす悲劇とか。奥様が家を不貞(同性愛)で家を出たとか。沢山の神の人達が苦悩と悲嘆の日々を過ごしています。

悲しんでいる人、痛みを抱えている人達に言葉があります。詩篇40章ではダビデが叫びます。「しかし、すべてあなたを尋ね求める者は/あなたによって喜び楽しむように…わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。」(詩篇40:16-17)

17節の言葉でとても力づけられます。「主は私をかえりみられます」。考えで見ましょう。主なる神は全てを作られています。この宇宙を造られたがたがあなたのことを考えているのです。 

今、この時間、神はあなたのことを考えているのです。あなたが必要な時です。

イスラエルのバビロン捕囚の時に彼等は家や親類を失い、辛苦をなめた時、神はエレミアに詔を述べました。「9:11 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり」(エレミア29:11)。神はその民に言いました。「あなたの悪夢は終りが来る。あなたを愛しているから、あなたがわたしを心から求めるなら、あなたはわたしを見出すであろう。」(エレミア29:11-13参照)

 神の怒りがあなたに注がれているとお思いですか。聖徒達も試みに会います。ですから揺らぎ無く神を信頼して下さい。試みの時、孤独の時、後悔の時、祈って下さい。あなたの心を主に注ぎだして下さい。神はあなたのことを思い、あなたを気に掛けています。

2009年5月5日火曜日

その民への神の愛は決して廃れない。

詩篇の13編を読んで、その言葉から示された幾つかであなたを力付けましょう。

ダビデは詩篇でこの言葉を使っています。彼は神に問います。「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に/悲しみをいだかなければならないのですか。いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。」

これはまるで神が彼を置き去りにして、彼の頂にはいつも暗い雲が漂っていたように思えます。暫く、ダビデは落胆して、言います。「神よ、この孤独感は何時までも続くのですか。いつ私の祈りは応えられるのでしょうか。」

問題が起きても私達は私達が主を愛していることを知っています。しかし、救いがあまりにも遠く、希望がないように見えたら、私達はプレッシャに負けてしまいます。いまこの言葉を読んでいる人も四面楚歌の状況のプレッシャに沈み掛けているかも知れません。その人は全く絶望して、試みの間の微かな静けさを望むほどです。

ダビデはそんな試みの中で問います。「私は我が魂に何時まで言い聞かせなければならないか」。彼はその状況から逃れようと色々な対抗策を講じましたが、計画、謀は悉く失敗しました。今や彼は全く考えられるものはありませんでした。いよいよお終いでした。

幽かに希望の光が差すかなと思った時に希望が打ちひしがれたらどれほど落胆するでしょうか。それが神を従う、神の心を追う人にそんなことが起きました。私達と同じように、そんな時をダビデは体験している事がこの詩篇に書かれています。

ダビデはどのように失望のどん底から這い上がることが出来たのでしょうか。「私はあなたの慈しみを信頼し…賛美する」。

あなたの試みの中で信頼し続けなければならない理由を分かち合いましょう。

  • どれほど嵐が激しくても、私達の主は空の鳥を養い、野の花を着付け、海に満たされている魚を生かして下さっています。「あなたの天の父が養って下さっています。」御父の許しかなければ一羽の鳥も地に落ちることはありません。
  • どんな父がこの世の全ての生き物を養いながら、己の子を等閑にするのでしょうか。イエスさまが私達に言っています。全ての問題や必要に心煩わせてはならないと。何故なら神があなたを心掛けているから。
真に主はあなたを愛しており、あなたの叫びを耳を閉ざしません。その約束を信じ、信仰を持って、忍耐を持って待ちましょう。神は決して裏切りません。

2009年5月4日月曜日

私達は私達の主イエスキリストの名を掲げる

キリストに触れられることが必要な 人がいます。主がこの世に居られた時、主は病ある人達を触れ彼等を癒しました。ペテロの姑に触れたとき、「熱が去った」と記しています。死んだ子供の棺に触れたとき、子供は甦りました。盲の目に触れたとき、見えるようになりました。耳しいの耳に触れたとき、その人は聞こえるようになりました。親達はイエス様に手を子供達に置いて貰おうと、イエス様のもとに子供を連れてきました。主の慈しみ深い手が全てを変えました。沢山の人達が病んでいる人達を御許に連れてきて、イエス様はその人達に応え、彼等を癒しました。

もし、あなたが主を深く知っているならば、あなたは主があなたに触れる御手を知っているでしょう。あなたが孤独であった時、失意の時、混乱している時、傷つけられ不安な時、あなたは魂の底から叫びます。「主イエス様、来てください。あなたの臨在が必要です。イエス様、来て、私の渇いている魂に触れてください。」

心にイエス様の御手が必要な人がいます。サタンはその権を持つ悪しき者と謀り、邪悪な考え―不信仰である、キリストに相応しくない、恐れ、自己嫌悪、神の怒りなどで心に満たそうとします。本当の信仰者ならばそのような体験があるでしょう。サタンは私達の信仰を、主への信頼がない者としようとします。

聖書には、イエス様の御手は叫びの答えとして与えられています。イエス様は叫びに決して耳を背けたりしません。あなたの叫びを聞き、あなたの必要に答えて下さいます。マタイの8章に『癩病人がイエス様に来て言いました。「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた』。 と記されています。

今日でもイエス様と一人になる場所を見つけ、癩病人が言ったように主に言って下さい。「御心ならば清めて下さい」。人を偏り見ない主があなたの心、体、魂、霊に触れ癒されるのを期待して下さい。主の御手があなたに伸ばされていますが、主はあなたが切実に、本気でそれを叫び求める、助け求める、期待して求めることを待っておられます。

「ところがエジプトびとはわれわれをしえたげ、また悩まして、つらい労役を負わせましたが、われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、主はわれわれの声を聞き、われわれの悩みと、骨折りと、しえたげとを顧み、主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、しるしと、不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、われわれをこの所へ連れてきて、乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。」(申命記26:6-26:9)

2009年5月1日金曜日

神はあなたを祝福し、平安に保つ

聖霊が私にエジプトからイスラエル民族を救う状況が記されている出エジプト記12章を読むように示しました。

全てのイスラエルの民の家の鴨居と戸の枠には子羊の血が塗られました。これは神の民を過ぎる死の天使より護るためでした。開放の日には男子の数だけで60万名の大群衆が囚われの日から出でました。「四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。」(出エジプト12:41)

次の章の3節で私は目がとまりました。「主が強い手をもって、あなたがたをここから導き出されるからである。」(出エジプト13:3) 神の民は主の力によって救い出されたのであって、人の方法によるものではありません。 

ダ ビデは宣言しています。「この神こそわたしの堅固な避け所であり、/わたしの道を安全にされた。…彼は高き所から手を伸べてわたしを捕え、/大水の中から わたしを引き上げ、わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから/わたしを救われた。彼らはわたしにとって、あまりにも強かったからだ。…この神こそ、その道 は非のうちどころなく、/主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。」(IIサムエル 22:33.17,18,31)

私達の信仰と力は弱くなることもありますが、私達が弱い時に神が私達にその素晴らしい約束を確認させ、私達を強めて下さいます。

 

  • 「あなたは戦いのために、わたしに力を帯びさせ/わたしを攻める者をわたしの下にかがませられた。」(2サムエル22:40)
  • 「弱き者は力を帯びる。」(I サムエル2:4)
  • 「主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。」(詩篇29:11)
  • 「神はその聖所で恐るべく、イスラエルの神はその民に力と勢いとを与えられる。神はほむべきかな。」(詩篇68:35)
  • 「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。…わたしは主なる神の大能のみわざを携えゆき、ただあなたの義のみを、ほめたたえるでしょう。」 (詩篇71:9,16)
  • 「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。…彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。」(詩篇84:5,7)

 

愛する皆さん、あなたは神が大能であると信じますか。もしそうであるなら、どんな力もその御前に立ちえません。全てをその強き大能と力の御手に委ねて下さい。そしてこの言葉を信じて下さい。「138:3 あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、わが魂の力を増し加えられました。」(詩篇138:3) 

神の愛と祝福があなたにありますように。