2009年9月25日金曜日

キリストのうちにあること

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し」(エペソ1:3) パウロは私達に「イエスに従う全ての人達は、キリストが居られる天にて霊的な祝福を受けている」と言っています。なんと素晴らしい神の民への約束でしょうか。

もし私達がこれらの霊的な祝福がどんなものかをわからないなら、その約束は無用のものです。もし私達が神が約束したものを分からないなら、いかにその約束したものを自分のものと出来るでしょうか。
パウロはこの手紙を「キリスト・イエスに あって忠実な聖徒たちへ」宛てに、救いを確信している信仰者に、書いています。エペソ教会の信徒たちはイエスキリストの福音と永遠の命の希望についてよく 教えられていました。彼らはキリストにあって天に自分らの場所があると確信していました。

「忠実な」ものたちは「神はその力をキリス トのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座 」(1:20)す事を確信していました。彼らは「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを 選」(1:4)ばれていることを知っていました。彼らは「イエス・キリストによって」(1:5)神の子たる身分を授けられた事を掴んでいました。涸れたが 真理の言葉を聞き、信じ、信頼したので神が彼らを神の家族に受容れられました。

許され、清められ、贖われた多くの人達は恵 みに歩んでいません。彼らはキリストにあって満たされていると感じていません。その代り、彼らは霊的なローラーコースタにあり続けています。何故、そうな るのでしょうか。彼らは十字架に架けられた救い主から復活の栄光の主を見出すことが出来ないからです。
イエス様は弟子たちに言いました。「わたし が生きるので、あなたがたも生きるからである。 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり」(ヨハネ14:19-20)。ここでイエス様が言っている「その日」に私達が今生きて おり、私達はキリストにあって自分が天にてどのような立場であるかを理解すべきです。

「天にて自分がどのような立場」とはどんな意味でしょうか。「立場」とは「立つ場所。立っている所」と辞書は記しています。ですから、神はキリストのうちに私達を立たせているということです。

それと同時に御父にあってキリストは御座の 右に座しています。そこで、もし私達がキリストにあるなら、私達はイエス様と同じようにそこに座しているのです。全能なる神の御前に座しているのです。こ れが、使徒パウロが「エペソ人への手紙」で言っている「キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのであ る」(2:6)の意味です。もちろん、イエス様は天のパラダイスにいますが、同時に主はあなたとわたしに繋がっているのです。主は私達をこの世でご自身の 宮、住処としておられるのです。