2001年4月10日火曜日

わたしにはあなたが必要です

クリスチャンの中には、他のキリストの体である兄弟姉妹と関係を持ちたくない、と思っている人達がいます。彼らはイエス様と関係を持ちますが、他の信者からは故意に自分達を孤立させます。彼らは頭と関係を持っても、体とは何の関係も持ちたくないのです。

しかし、体はたった一つの部位からは成り立つことが出来ません。頭から手だけが生えている状態が想像出来ますか。キリストの体は、手足や臓器なしで、頭だけでは成り立ちません。彼の体は、多くの部位から成るのです。

私たちは、キリストの体の一部にならずして、キリストと一つになることは絶対に出来ないのです。私たちは、頭だけでなく、その体全体を必要とします。私たちはイエス様を必要とするだけでなく、お互いをも必要とすることで、互いに結ばれています。パウロはこう語っています。「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。」(第一コリント人への手紙12:21)

この聖句の後半に目を留めて下さい。頭でさえ、他の部位に対して「お前など要らない」と言えないのです。何と驚くべき宣言でしょう。パウロは、「キリストは、決してその体の一部に対して『わたしはあなたを必要としない』と言われることがありません」と語っているのです。私たちの頭は、私たち一人ひとりと喜んで関係を持って下さいます。そればかりか、キリストの体が機能するためには、私たち全員が大切で、必要であるとさえ言って下さるのです。

これは特に傷つけられ、痛みを覚えている信者に言えることです。パウロはこう強調しています。「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(12:22)使徒はさらに、「わたしたちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと格好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。」と続けています。(12:23)彼は、キリストの体の中で、見えず、隠され、知られていない部分について語っているのです。神様の目には、これらの部位に素晴らしい価値があるのです。そして彼らはキリストの働きの上で、絶対になくてはならない存在なのです。

この聖句は私たち全員にとって、非常に意義深いものであります。パウロが私たちに伝えようとしているのは、「あなたの自己評価がどれだけ低くても、関係ありません。クリスチャンとして、なっていないと思っているかも知れません。しかし、主御自身が『わたしにはあなたが必要なのです。あなたはキリストの体の部位として大切なだけではありません。あなたはキリストの体が機能する上で、大切かつ必要不可欠なのです。』と言っておられるのです。」

キリストの体の重要な部分として、サタンが他の信者を攻撃していることに対して、信者達は立ち上がり、真剣に行動を起こす必要があります。驚くべきことに、この命令は多くのクリスチャンから忘れ去られています。他の信者が痛みにあるのを見る時、私たちは慰めを申し出ようとします。もちろんそれは神の愛からくるものです。しかし、それだけでは十分ではありません。信者の一人ひとりが、イエス様の御名によって、サタンを縛り付け、彼を闇へと放り去るべきなのです。これこそがキリストの体の一部であるという、真の証しなのです。