2009年9月21日月曜日

新しい力を得る

私達は神が私達を救われた事をすぐに忘れてしまいます。神様が奇跡を行っても、当たり前のように見過ごしでしまいます。でも聖書は私達に繰り返し言っています。「あなたの救いを覚えよう」。


私達は弟子達のようです。彼等はイエス様が何切れのパンと魚で何千人の人達に食事を与えたキリストの奇跡を理解しませんでした。イエス様はそんな奇跡を2度行っています。一度は 五千人、他の時は四千人でした。数日後には弟子達の記憶からこの事件は無くなりました。


イエス様がパリサイ人のパン種について警告した時、その記憶が無くなった事が明らかになりました。弟子達はイエス様がその話をしたのは、彼等が旅路にパンを忘れたからと考えました。しかし、キリストは彼等に答えて、「まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。」。(マタイ16:9-10)


マルコによれば、キリストは弟子達がそんなに忘れっぽいのを呆れていました。イエス様は言いました。「イエスはそれと知って、彼らに言われた、『なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか』」。(マルコ8:17-19)


こ の話は私達に何を言っているのでしょうか。弟子達の誰もそんな奇跡によって人々に食べ物を与えるなんて毛頭考えまてなかったのは明らかです。。この人達が 食べ物籠を運んで、人々に与える時、パンや魚が不思議に増えることを目の当たりにする光景を描いて見てください。あなたは弟子達が跪き、叫んだと考えられ ませんか。「不思議だ。驚きだ。理屈では考えられない。イエス様こそ真の主です」。彼等は食べ物を分けながら人々にこう言ったと思います。「見なさい。奇 跡の食べ物を、神に栄光を。イエス様が与え給うものだ」。


弟子達はその奇跡を目の当たりに見たにも拘らず、その重大さに気づきませんでした。彼等は奇跡を理解できませんでした。同じくあなたも私も自分の歩みでの神の奇跡を忘れます。今日の喚きの中で、昨日の救い、助けはすぐに忘れられてしまいます。


新 旧役を通した、聖書は「私達のために奇跡を行う、主の強き手を覚えよう。あなたの過ぎた日々の救いを全て覚えよう」と言っています。モーセが紅海にての奇 跡の後、戒めたのを思い出して下さい。「モーセは民に言った、『あなたがたは、エジプトから、奴隷の家から出るこの日を覚えなさい。主が強い手をもって、 あなたがたをここから導き出されるからである」。(出エジプト記13:3)