2009年9月22日火曜日

実を結ぶために選ばれた

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび」(ヨハネ15:16)


沢山のまじめなクリスチャンは、実を結ぶとは、単に、魂をイエス様に導くことと思っています。しかし、実を結ぶとは魂の救い以上の大きな意味があります。


イエス様が仰っている実は、キリストに似るものになることです。実を結ぶとはイエス様の資質を反映することです。次ぐ言葉「多くの実」とは「益々キリストと似る」事です。


キリストに益々似ることは私達の命の根本的目的です。それが私達の全ての活動、生活、関係の中心となるべきです。真に、私達の賜物、召命、仕事、働き、証全てがこの目的が中核となるべきです。


もし、私の心がキリストに似るものとならないなら、私がいよいよキリストに似ないなら、私は私の人生に於ける神の召しを損なっているのです。


私 への神の御旨はキリストの為にする業によっては充足できません。私が病人を癒し、悪魔を追い出したとて御旨を成就できません。否、神の御旨はキリストにあ る者になる事のみで充足されます。キリストに似るとは私が主のために何をするかではなく、キリストに似るものに変化されつつあることです。


ク リスチャンの本屋に行って、棚の本の題を見てください。沢山の本はマニュアル本で、孤独を如何に克服するかとか、鬱に生き残るとか、生甲斐を探すとかのも のです。何故でしょうか。私達は根本から間違っています。私達は成功する為に、試みから開放されるために、または特別な人となるために、若しくは「有名に なる」為でしょうか。そうではありません。私達は私達の生活の中心となるべき、唯ひとつの召命、唯一の焦点を捕らえていないからです。それはキリストに あって似るものとなり、実を結ぶことです。


イエス様は自分の全てを御父に捧げました。イエス様は「わたしは、わたしの父が言ったこと以外、何も言わないし、何も働かない」。


あなたはキリストと似るものになる事から湧き出す実を多く結びたいと思っていますか。私達はイエス様が人々を愛したように私たちが人々を愛する時、私達の人生の目的が達成されます。わたし達が人々を益々愛する時、私たちはもっとキリストと似るものとなるのです。


「父 がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい」。(ヨハネ15:9) イエス様の命令ははっきりしていま す。「行って、人々を愛しなさい。私があなたに示したような無条件の愛を人々に与えなさい」。人々への愛が増すほどに私達もしかりキリストと似つつあるで しょう。言って見れば、実を結ぶとは他の人をどう扱うかなのです。