2008年6月30日月曜日

主にあって喜びなさい

私たちの平安と満足感は、どんな状況にあったとしても、常に神様の御手にすべてを委ねることにかかっています。詩編の作者はこう記しています。「主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩編37:4)

もしあなたが神様の御手にあなた自身を完全に委ねるなら、すべてのいかなる困難をも耐え忍ぶことが出来ます。あなたのお父様は、あなたがすべてを神様の御手に委ね、日常生活を恐れや不安なしに送ることを望んでおられます。そしてあなたの神様に対する信頼は、あなたの人生において、目に見える効果をもたらします。神様にすべてを委ねれば委ねるほど、あなたはあなたを取り巻く環境が気にならなくなるでしょう。

もしあなたが神様に委ねているなら、いつも次の行動を計画しようと躍起になることはありません。あなたの近くで起こっている恐ろしいニュースを聞いても、不安に駆られることはないでしょう。あなたの人生も家族も将来も、そのすべてが主の愛と安心に満ちた御手にあることを信じるなら、将来の日々に押し潰されることもありません。

羊飼いの後をついて行く羊たちが、どれ程心配と不安に満ちていると思いますか。ゼロです。羊飼いの導きに完全に委ねきっているからです。同様に、キリストは私たちの素晴らしい羊飼いで、私たちはその羊です。だとすれば、なぜ私たちは人生や将来のことを恐れたり、それに心を乱したり、心配したりする必要があるでしょうか。私たちの羊飼いは、愛によって導いて下さるので、どうやって私たちを守り、その群れを保護すればよいか、完全に御存知なのです。

私は人生を通して、問題が起こる度に、どうやって神様を信頼すればよいかを学ばされました。考えてみて下さい。もし私がある一つのことを神様に委ねられていないなら、どうして神様にすべてを委ねていると言うことが出来るでしょうか。ただ「私は主に完全なる信頼をおいている」という言葉を発するだけでは、十分ではありません。私は何度も何度も、私の人生におけるたくさんの分野で、また日常茶飯事において、これを確かなものにしなければいけませんでした。

多くの人々は、他に抜け道が全くなくなってしまった時になって初めて、「私は任せている、委ねている、信じている」と言います。しかし本当の委ね、神様が喜ばれる委ねとは、どうしようもなくなるその前に、自ら喜んで委ねることです。私たちは、アブラハムが神様に人生のすべてを委ね、神様がそのすべてを満たされるままに進んだ様に、主の御心に適うことを行うべきです。