2008年6月18日水曜日

大胆さ

「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブル人への手紙4:16)「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」(エピソ人への手紙3:12)これらの御言葉は、執拗な必要をもって私たちが神様に大胆に近づくことを語っており、それが神様を喜ばせることである、と記しています。

神様が、私たちに大胆かつ確信をもって御座に近づくようにと言われることは、単なる提案ではありません。それは神様が望まれることであり、私たちが心に留めるべきことなのです。では私たちが祈る上で、どこからこの大胆さや確信を持って近づくことを得られるでしょうか。

「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブの手紙5:16)ここで使われている“効果をもたらす”という言葉は、元々ギリシャ語の“固定した位置”という意味を持つ語源から来ています。それは、動じず、揺るぎない心情を示しています。同様に、“大きな力”は確固たる証拠に基づき、あなたの言い分を完全に証明する大胆さのことを語っています。
これら二つの言葉―効果をもたらす、大きな力―は、訴訟を起こす準備が完全に出来た状態で神様の法廷に赴くことを表しています。それは感情や、派手で見せ掛けだけの熱意を超えたものです。

この様な祈りは神様の御言葉を探り、主がそれを与えて下さるという完全なる確信がある僕からのみ聞かれることが出来ます。実際私たちの中で誰も、御言葉を携えずに神様の臨在に進み出でることがないようにすることは大切です。主は私たちとの約束を成就させ、私たちが主にその約束を思い出させ、約束を守ってもらうように訴え出て、その約束に固く立つことを望んでおられます。

このことは使徒行伝10章で、ペテロがビジョンを与えられたことによって実証されています。神様は使徒にこう言われました。「何人かの人があなたを尋ねてやって来て、彼らと共に行くようにお願いするでしょう。わたしが彼らを遣わしたのです。だからペテロ、何も疑わずに彼らと共に行きなさい。」

この箇所は私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。それは、神様があることを真実であると宣言される時、私たちは現実と引き合わせることなく、それを信じ、ただそこに固く立つべきなのです。私たちの現状や価値を吟味することで、神様の御言葉がどれだけ信頼出来るかを計ることは出来ないのです。もしそうするなら、自分たちの価値のなさを思い知るだけです。そして御言葉に訴えかけることも、それを自分のものとすることも断念してしまうでしょう。

さらに、私たちには神様の恵みの御座に近づくための助けが与えられています。聖書は、私たちが御座においての原告であり、キリストが私たちの調停者または擁護人であると語っています。また、御父の法廷に立つ時、聖霊が私たちと共にいて下さいます。聖霊は私たちの“パラクリート”、すなわち、私たちの相談役を担って下さる方なのです。聖霊は私たちの側に立ち、御言葉を構成する永遠の政令と神の憲法を思い出させて下さいます。

私たちにはこの様な、素晴らしい約束―私たちの側に立っていて下さる調停人と相談役の存在―が神様の御座に近づく上で大胆さと確信を持つために与えられています。