2008年6月20日金曜日

主イエス様、早く急いで来てください!

黙示録にてイエス様は、「見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は幸いである。」と宣言しておられます。(黙示録22:7)その5節後、キリストは「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」と言っておられます。(22:12)

そしてこれが、イエス様の再臨を待ち望む人々の叫びです。「“霊“と花嫁とが言う、『来てください。』」(22:17)これはキリストの花嫁、キリストを君主とする世界中の信者のことを表しています。これらの人々は皆、新しく生まれ変わり、血潮によって清められた信者たちです。

あなたは「確かに、これが信者の心からの叫びだということは分かる。でもなぜ“霊”もイエス様に向かって『来てください』と叫ぶのだろう。」と不思議に思われるかもしれません。それはこれが、地上での働きが間も無く完了すると知っている、聖霊の最後の祈りだからです。神様によって、地上での時間に終わりが迫っていることを知らされたパウロやペテロ同様、聖霊もまた「来てください、主なるイエス様。」と叫ぶのです。

ではこの聖霊の叫びを、今日の私たちはどこで聞くでしょうか。それは天においてキリストと共に座する人達―聖霊の内に生き、歩み、その体が聖霊の宮となっている人達―を通してです。霊は彼らの内に、また彼らを通して「主よ、早く来てください。」と叫んでいるのです。

あなたが最後に「主なるイエス様、早く来て下さい。急いで来て下さい。」と祈ったのはいつのことですか。個人的に、私はこの様な祈りをしたことを覚えてさえいません。私は聖霊が自分を通してこの祈りを祈ることにより、キリストの再臨を早めることが出来るとは全く知りませんでした。しかしペテロはこの素晴らしい真実の証拠を語っています。「神の日の来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。」(第二ペテロ3:12)ギリシャ語で、「その日が来るのを早めるように」という箇所は、「速度を上げる、駆り立てる」という意味があります。ペテロは私たちが待ち望む祈りは、父なる神様に御子を再び送られることを駆り立て、それを早めさせることが出来ると言っているのです。

主の憐れみに満ちた忍耐が、再臨のタイミングを取り仕切っています。だからと言って私たちがそのタイミングに関して祈らなくても良いのでしょうか。全くそうではありません。キリスト御自身が、こう私たちに語っておられます。「それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自身のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。」(マルコ13:19~20)世界中でキリストの花嫁が目覚め、霊によって「イエス様、来てください」と祈ったら何が起こるか、想像してみてください。