2008年6月27日金曜日

荒廃した時代の祈り

今日のような危険な時代、教会は無力で何も出来ないでいるのでしょうか。私たちはただ大人しく、キリストの再臨を待つべきなのでしょうか。それとも、私たちは何か思い切った行動を起こすべきでしょうか。私たちを取り囲む世界が震えおののき、人々の心が恐れに負けてしまう時、私たちは霊の武器を手に取り、敵と戦うために召されているのでしょうか。

預言者ヨエルは、イスラエルに同じ様な時代が迫っているのを見ました。それは“濃い暗闇と陰鬱”と表現された時代の一つです。ヨエルによると、イスラエルに迫る暗闇の日は、歴史上でかつてなかった程のものだったそうです。「ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。」(ヨエル1:15)

この様な暗い時代に、ヨエルがイスラエルに語った助言とは何だったでしょうか。彼はこの様な言葉を伝えました。「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ。断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。』あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。あるいは、主が思い直され、その後に祝福を残し、あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を、残してくださるかもしれない。」(ヨエル2:12~14)

この聖句を読むと、私はある言葉に心打たれます。それは“今でもなお”という言葉です。ひどい闇がイスラエルを覆う中、神様は民にこう訴えかけられました、「今でもなお、わたしの報復の時でさえ―あなたたちの社会からわたしを追い出し、憐れみなど存在しないと思える時、人類がわたしの警告をあざ笑う時、恐れと闇が地を覆う時―そんな今でもなお、あなたがたがわたしに立ち帰るよう訴えかけよう。わたしは怒るのに遅く、ヨシヤにした如く、裁きを遅らせることで知られているからだ。わたしの民はわたしに向かって祈り、憐れみを請うことが出来る。しかしあなたがたが『憐れみなどない』と言うならば、世界は決して悔い改めないだろう。」

ここに込められた、私たちへの神様のメッセージを読み取ることが出来ますか。神の民として、私たちは祈りよって神様に嘆願することが出来ます。そしてそれを神様は聞き届けて下さいます。私たちは神様に向かって要請を立てることが出来、神様は聖徒の心からの有益な祈りに、必ず答えて下さることを知っています。