2008年6月24日火曜日

キリストの体

使徒パウロは、私たちにこう教えています、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(第一コリント12:27)さらに具体的に、彼はこう記しています、「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。」(12:12)

パウロが言っているのは、「自分の体を見てごらんなさい。手があり、足があり、目があり、耳があるでしょう。あなたは脳だけが、その他の器官から独立して存在するものではありません。キリストの場合もそれと同じなのです。彼はただの頭ではありません。彼には体があり、その体はすべての部分によって成り立っているのです。」

そして使徒はこう指摘します、「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形作っており、各自は互いに部分なのです。」(ローマ人への手紙12:5)言い換えると、私たちは単に頭であるキリストにつながっているのではありません。私たちは、お互いにもつながっているのです。事実、私たちはキリストにある兄弟・姉妹にもつながっていなければ、キリストとつながることは出来ません。

パウロは同じ点をさらに強調してこう語っています、「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(第一コリント10:16~17)簡単に言うなれば、私たちは同じ食物を与えられているということです。それは天からのマンナ、キリストです。「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」(ヨハネ6:33)

イエス様はよく、弟子達にたとえを用いて語られ、それらのたとえにはそれぞれ、神様の真実が隠されていました。これらの神秘は、創造の前より、御父、御子、聖霊の間で分かち合われてきたことです。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」(マタイ13:35)これらの隠された真実は、それを探し求めている者のみに明らかにされる、とイエス様は証言されました。

イエス様はこう宣言されています。「わたしが命のパンである。わたしは、天から降って来た生きたパンである。わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(ヨハネ6:35、51、57)ここで記されているパンのイメージは重要です。私達の主は「もしあなたがわたしの所に来るならば、あなたは養われます。あなたはわたしの体の一部としてわたしにつながります。だからあなたはわたしの内にある命の泉から力を受けるのです。」実際、キリストの体の部分はすべて、一つの源から力を得ます。それは頭である、キリストです。私たちが勝利者としての人生を歩む上で必要なものはすべて、彼から流れてくるのです。

このパンこそ、私たちが彼の体の一部であるということを識別するものです。私たちは同じ一つのパン―イエス・キリスト―を分かち合っているので、他の人々から聖別されています。「皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(第一コリント10:17)