2008年6月26日木曜日

恐れと畏れ

預言者たちは、神様が国々を揺れ動かし、危険が私たちに降りかかるのを見る時、私たちの人間的な部分は非常に恐れるでしょう。エゼキエルは、こう尋ねています。「わたしが裁きを行う日に、お前の心は耐えられようか。お前の手の力はうせないだろうか。主であるわたしが、これを語りこれを行う。」(エゼキエル22:14)

神様がノアに来るべき裁きを通告し、箱舟を建てるよう言われた時、ノアは「恐れかしこみました。」(ヘブル人への手紙11:7)大胆で勇ましいダビデでさえ、「あなたを恐れてわたしの身はすくみます。あなたの裁きを畏れ敬います。」と言いました。(詩編119:120)預言者ハバククが悲惨な未来を見た時、彼はこう叫びました。「それを聞いて、わたしの内臓は震え、その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び、わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ、我々に攻めかかる民に、苦しみの日が臨むのを。」(ハバクク3:16)

これらの聖句を読む時、どうか注意して下さい。これらの神の人々に押し寄せた恐れは、肉の恐れではなく、主への尊敬の念を表す畏れだったのです。彼らは、その魂の敵を恐れていたのではなく、神様の義なる裁きを畏れていました。そしてそれは、彼らが待ち受ける惨事の裏に、神様の素晴らしい力があることを知っていたからなのです。彼らは嵐が引き起こす惨事を恐れていたのではなく、神様の聖さを畏れていたのです。

同様に、私たちもそれぞれ破壊や災難が訪れる時に、どうしようもない程の恐れを体験するでしょう。しかし、私たちの恐れは主の聖さに対する畏れから来るべきで、私たちの運命に対する肉的な不安からくるべきではありません。神様は、私たちの内にある、所有物や、財産や、基本的な生活を失うことに対する恐れを罪とされ、それを嫌っておられます。

世界中で、国々の経済が悪化するのを見て、人々はこの種の恐れに満ちています。彼らは一生をかけて築き上げたものが、経済の波にすべてさらわれていってしまうのを恐れているのです。それは、希望が何もない、未信者の叫びです。神にある人の叫びであってはなりません。事実、もしあなたが神の子であるならば、天のお父様はあなたの内にある、その様な不信仰をお許しになられません。イザヤは「なぜ、あなたは恐れるのか、死ぬべき人、草にも等しい人の子を。なぜ、あなたは自分の造り主を忘れ、(中略)苦痛を与える者の怒りを、常に恐れてやまないのか。」と警告しました。(イザヤ51:12~13)「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。」(イザヤ8:13)

神様があなたの畏れでありますように。その様な畏れは死ではなく、命に導きます!