2008年6月9日月曜日

神様は教会を愛しておられる

本来のキリストの教会は、主が目に入れても痛くないと思われるようなものです。しかし当初から神の教会は、背信者や偽教師に悩まされていました。初代教会-パウロや他の弟子達によって築かれた使徒の体-には神様の豊かな助言がありました。キリストに従う者には、成長と揺るぎなさを育てるものは何一つ、差し控えられることがないのです。彼らには、言葉だけではなく事実や行動として表された真理と、聖霊の力が与えられたのです。

パウロはテモテに、神の民の内で何人かは「健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話(象徴的な真理)の方にそれていくようになる」時が来ると忠告しました。(第二テモテ4:3~4)

歴史は、パウロが予想した通りのことが起きたと記録しています。使徒たちが亡くなり、彼らの教えを直接受けた世代も亡くなった後、邪悪な過ちの陰謀が、教会を押し流したのです。信者たちは奇妙な教義に惑わされ、科学と哲学がキリストの福音の真理を腐食させていったのです。

パウロがキリストの教会の純粋さについて述べたことを考えてみて下さい。「キリストは教会を愛し、教会のために御自分をお与えになりました。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。」(エペソ5:25~27)

神様が非常に心配されているのは、背信教会に関してではありません。背教でさえ、イエス・キリストの教会を殺したり、滅ぼしたりすることは出来ません。これらの問題があっても、神様はすべてを統べ治めておられ、神の神秘的で目に見えない勝利者なる教会は、死に瀕することなどないのです。それどころか、聖霊の川が背信教会の「死海」に流れ込み、不正や生ぬるさをさらけ出していくのです。そしてそれは、新しい命が生まれる源となります。

生気のない、死んでいた教会から戻ってきた人達は、ただ幸運な生き残りかも知れません。それでもイエス様はこう、宣言されています。「畑は収穫に満ちている。そして今はまだ労働者が頑張り抜く時なのだ。」聖書の中にはどこにも、枯れた収穫だけを残して聖霊が逃げ去ってしまったという記述はありません。神様の霊はまだ、豊かに働いておられます、罪を明らかにし、懇願し、失われた魂をキリストに引き寄せるために。そして背信者たちもその、失われた魂の中に含まれているのです。

天にある証し者の大群は、裁きを求めたり、砦を守ることだけに努力を費やしたりしてはいけないと、私たちに語ってくれることでしょう。今はまだ、聖霊の時なのです。そして聖霊は進み出るすべての器を満たそうと、待っておられるのです。

神様は、それでも彼の教会を愛していらっしゃいます、汚れも含めたそのすべてを。