2009年8月31日月曜日

主が満たされるのは何だろう

イ エス様は信仰についての弟子達の願いにこう答えました。「あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たと き、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。 かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではない か。…同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。」(ル カ17:7-8 10)
 
キリストはわたし達を神、私達の主人の僕と言っています。そして、イエス様は神を食卓で仕えるようにいっています。では、神様にどのように仕えればいいのでしょうか。「どんな食べ物を持ってきたらよいのだろか。主の空腹を満足させるのは何だろうか」。
 
聖書は言っています。「信仰なしでは神を喜ばす事はできない」。(ヘブル11:6)簡単に言うと神様は最も好まれるものは信仰なのです。その料理が神を喜ばせるのです。
 
似 たような表現が聖書に沢山あります。百卒長がイエス様にただ言葉を命じ、彼の病んだ僕を癒される事を願った時、キリストはその生きている信仰を喜ばれ、力 付きました。「イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがな い。」(マタイ8:10)イエス様は「この異邦人、外からの人がわたしの魂を養っている。その信仰にどれほどに力付けられるわからない。」
 
主は遠慮なく、直接的に言っています。「あなたは食べではならない」。言い換えれば、私達は自分の信仰を私達が望んでるもの、必要に費やしてはならないのです。返って、私達の信仰は主を満たすためにあるのです。 「夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい