2009年8月18日火曜日

自分が何をすべきかを判らない時

三つの敵がユダの地に進みつつある時、エホシャファット王は戦略を練るために国を召集しました。戦略、何か決定的な行動を宣言しなければなりませんでした。何か直ちにすべきでした。しかし、エホシャファット王は民の前に立ち、神に自分の心を注ぎだしました。
 
「彼らがわれわれに報いるところをごらんください。彼らはここに現れ、あなたがわれわれに賜わったあなたの領地からわれわれを追い払おうとして います。われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。 ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」。(2歴代誌20:11-12)
 
私達は全てが不安で揺らぐ時代に-人々が誰かしら傷つけられる時代に 住んでいます。
 
何をすべきかを確実に知っている人は誰もいません。私達の指導者もこの世界-または経済で起きている事が理解出来ていません。
 
経済についてはもっと混乱しています。経済学者は何か次に来るかについて議論しています。心理学者らは今人達が何によって変えられるかに驚いているばかりです。
 
あなたは諦めて、ただ座して、神が全てをするのを待ってはいけません。このことは「主を見る」だけの事ではありません。私達が何をすべきかを知 る人としてではなく、何をすべきかを分からない人として主を見上げるべきです。しかし、私達は主が大水の居られる王である事を知っています。主の主であ り、この世が二つに譬えなったとしても、主は確実性の岩なのです。 私達の眼は甦られた主を見ているのです。私達が何をすべき判らない時、私達の信仰が主 は何をすべきかを知っていると確信させて下さいます。