2009年8月11日火曜日

木を植える

神は彼の子供達をつねに苦しみから逃れることを約束しません。また、神は私達が生きるのに何も必要しなくなるとも約束していません。私達は世界平和、平安、安全保障、経済的な繁栄などは約束されていません。私達は魂と心の平和と安心そして全ての真の必要を悉く満たすこと、さらに私達は決して乞食とはならないと約束されています。 神は使徒パウロが「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」(1テモテ6:8)との境地まで私達が到達させたいと思っていられます。

未来は邪悪で暗雲が漂っています。しかし、ダビデは詩篇の23編で 「私はわざわいをおそれません」 といっています。これが現在の全ての信仰者への言葉です。将来は神に治められているので、私達は恐れる必要がないのです。神には定められた計画がおありなのです。神はキリストの再臨の正確な時を知っておられます。天と地を統べ治められると言っておられます。「 見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、はかりの上のちりのように思われる。見よ、主は島々を、ほこりのようにあげられる。…もろもろの国民は無いにひとしい。…むなしいもののように思われる」(イザヤ40:15,17)

神はキリストが戻ってこられるまで働きを続けて欲しいのです。それは私達は終りが決して来ないように働くが、終りが明日来るかごとく生きる事を意味します。かの偉大な伝道者、D.L. ムーディ師がこのように訊かれました。「あなたがイエスキリストの再臨が明日であると知ったら、今日あなたは何をしますか。」彼は答えました。「私は木を植えます」。ですから、本当のクリスチャンならば神の種を蒔き、植える事をして、神の業を励んでしましょう。主が来られた時、主は私達が主の御旨を行っているのを見せましょう。

神は私達の頭の髪の毛さえも数えられる神です。また、天から落ちる雀でさえ数えられる神です。願う先に思いを聴かれる神です。呼ぶ前に答える神です。私達が願ったり、考えたりする前に豊かに与える神です。では何故あなたは恐れているのですか。