2009年8月28日金曜日

イエス様の言葉

「また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。」(ルカ16:12)イエス様はこういっているのです。「あなた方が啓示を受け、大きな事ができるように願っている。ではあなた方が与えられていることに忠実ではないのにそんな信仰が扱えると思うのか」。
 
イエス様の言葉は弟子達を戸惑わせたに違いありません。主は彼らが人から貰った物の内、少しばかりしか持っていないのを知っていました。主の弟子になるために諦めたからです。彼等は彼らにできる限りの事をしたつもりでした。主のことは彼らに当て嵌まらないように見えます。
 
イエス様が「ほかの人のもの」と言ったのはどんな意味でしょうか。イエス様は私達の肉体と魂の事を言っています。それは御自身の血で買われたものです。「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」(1コリント6:20)
 
イ エス様は言っています。「あなたの体はもうあなたのものではない。もしあなたがその体を面倒見ないのであれば、あなたが私にあなたの中でおこっていること をを見せないのなら、そして罪を取り扱う事、聖別することができないのであれば、もっと大きな事をあなたに任せられるであろうか」。
 
弟子達は信仰が増す事を願いまして、イエス様はその答えを与えたのです。「そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。」(ルカ17:6)
 
イ エス様はこの様な表現で何を仰りたがったのでしょうか。特にこの表現で私達の心にある根を抜く事を話されていたと信じます。イエス様は悪の根、私達が主を 従うために取り扱わなければならない隠れた事を話されています。「神が山を動かす事を信じる前に、あなたは根を取除くべきです。大きな、使徒の信仰がその 根を取除くために必要ではありません。あなたが必要なのは最低限の信仰です。私はあなたにきわめて基本的な事を求めています。罪の根を抜く事です。あなた は自分の心を調べ、わたしのではないものは全て取除く事を願っています。」