2009年8月3日月曜日

生きるも死ぬも

『ネブカデネザルは彼らに言った、「…わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。』 (Daniel 3:14–15)

ダニエルの友人達は人として最悪の状況にいました。もし、神が奇跡的に彼等を助けなかったら、彼等は死ぬしかありませんでした。

キリストはあなたの問題にどのように関わるのでしょうか。あなたがこの三人のヘブル人の若者と同じように決心をした時に神様がその問題に関わるのです。『ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちが仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。 たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。』 (16-18節)

言い換えれば、「状況は絶望的で、若し神が奇跡を起こさないなら、私達は死ぬだけだ。しかし、私達の神様はこの状況から助ける事ができる。そうではなくても神を捨てません。生きるも死ぬも神を信じる」。

愛する皆さん、このような信仰が天使や神の御心を喜ばせます。「主よ、あなたは私を救えると知っています。あなたの一語とで、全てが解決です」。

「しかし、そうでなくとも、うろたえません。見捨てたと非難しません。私はあなたを信じ続けます。あなたの道はわたしのより高いのです。わたしの命を委ねます。あなたの手に掛けられても、なお私はあなたを信じます」。

このように覚悟が困難な危機にキリストの介入を齎します。キリストが危機から私達を助け、自由にできるという信仰です。何事が起きても、神の御手の内にあるという信仰です。