2009年8月14日金曜日

私達の遥かに超えて

神は御自身の民に御自身の栄光を注ぎたいと思っておられます。神は私達が求めまた思うところの一切を、遥かに越えて叶えようとしています。神が求められる人らに与える理由はこれです。神は人々がその人生でかつて体験しなかった素晴らしい臨在に満たしたいからです。

イエス様は言いました。「 わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(ヨハネ10:10)。ではこの豊かな命を得るには、主を喜ばす事にもっともっと努めなければなりません。パウロはこう言いました。「わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。」(1テサロニケ4:1)「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。」(1コリント15:58)

ギリシャ語の「励む-abound」とは「超える、過ぎる、豊かに有るー満たして豊かにあり、量ることができないほどある」ことを意味します。言い換えれば、パウロは「神の栄光があなたが今まであるあなたのどんなものを超える。しかし、あなたの祈りは食事の祝福以上のものでなければならない」。

「 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:6-7)パウロはこのような神の栄光と臨在の豊かな命を得るためには、主に怠惰で怠け者の僕を越えて、愛と一途な思いで仕えなければなりません。

「神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、」(エペソ1:8) 神は栄光を今だ嘗てないようにあなたに注ぎたいと思っておられます。「御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。」(1:9) 主は言っておられます。「わたしはあなたの御言葉を深く理解するよう心を開きます。あなたにその御言葉の奥義の啓示を与えたいと思っています。」