2008年7月30日水曜日

私たちの信仰を増して下さい

マルコによる福音書4章には、イエス様と弟子達が嵐に遭遇する様が記されています。この場面でキリストは、たった一言で高鳴る波を静められます。そして今度は弟子達の方を向かれ、「まだ信じないのか」と尋ねられます。(マルコによる福音書4:40)

あなたはこれが、手厳しい言葉であると思われるかも知れません。この様な嵐に遭遇すれば、誰だって恐れを感じたことでしょう。しかしイエス様は、そのような理由で弟子達を叱られた訳ではありません。むしろイエス様は、「こんなにわたしと時間を過ごしているにも関わらず、あなたはわたしを誰か理解していない。これ程わたしと共に歩んでいて、何故わたしを深く知ることがないのか」と尋ねておられるのです。

事実、弟子達はイエス様が行われた奇跡を見て、あっけにとられていました。「弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った。」(4:41)

この状況が想像出来ますか。イエス様御自身の弟子達が、彼を知らなかったのです。イエス様は御自分で、この弟子達を一人ひとり召し出され、彼らと一緒に多くの人々にミニストリーを施されたのです。彼らは癒しの奇跡を行い、多くの貧しい人々に食物を与えました。しかし彼らは、自分たちが仕える先生が真にどういう方だったかを知らずにいたのです。

残念ながら、今も同じ状況が続いています。クリスチャンの多くは、イエス様と共に船に乗り、共にミニストリーを行い、イエス様の御名によって大衆に触れました。しかし彼らは、その仕える先生を知らないでいます。イエス様と二人きりで過ごす、親密な時間を持たないでいます。イエス様の臨在の中で静かにたたずみ、彼に心を開き、ただイエス様が何を伝えられたいかを黙って待ち望むということをしません。

ルカによる福音書17章に、弟子達の信仰に関する別の記述があります。弟子達はイエス様に近づき、「信仰を増してください」とお願いしました。(17:5)多くのクリスチャンは、彼らと同じ質問をします。「どうやったら信仰を手に入れることが出来ますか」と。しかし彼らは、主御自身を求めることをしないのです。

もしあなたが信仰を増したいと望むのなら、イエス様が弟子達にこの箇所で言われたのと同じことをしなければなりません。イエス様がどの様に返答されたかを見てみましょう。「夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。」(17:8)イエス様が言わんとしておられること、それは「忍耐を衣としてまといなさい。それからわたしの食卓に来て、共に夕食を取りなさい。わたしはあなたに給仕として仕えて欲しいのです。あなたは一日中、喜んでわたしに仕えてくれました。だからあなたと交わりの時をもちたいのです。来て共に座り、心を開いて、わたしを知りなさい」ということです。