2008年7月15日火曜日

救いをもたらす聖霊の力

「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」(第二コリント人への手紙1:10)何と素晴らしい宣言でしょう。パウロは「聖霊は、私を絶望的な状況から救い出して下さった。今も救って下さっている。そしてこれからもずっと、すべての困難からわたしを救い続けて下さる。」と言い切っているのです。

聖霊を受けることは、感情的な変化やしるしによって立証されるものではありません。(ただ、私は聖霊のしるしの存在を信じていますが。)私が言わんとしているのは、永遠に深まり続ける知識によって、聖霊を受け取るということです。聖霊を受け取ることは、聖霊の備え、救いの力、重荷を取り去る力に関する光を深め続けるということです。

ペテロの言葉を見てみましょう。「わたしたちを御自分の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。」(第二ペテロの手紙1:3)ペテロによると、聖霊による神様の力は、しるしによって訪れる訳ではないと言うのです。聖霊はまず、「わたしたちを召し出してくださった方を認識させる」ことによって訪れます。

「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネによる福音書1:16)さらに聖霊は、聖霊がすべてを統べ治める環境が整えられるまで、完全に受け入れられてはいません。もし私たちが、すべてを完全に委ねていないなら、実際には聖霊を受け入れていないことになります。私たちは自らを完全に聖霊に委ねきらねばなりません。

最後に一つ例を挙げましょう。創世記19章に、ロトとその家族が大変な危機に瀕する場面が記されています。彼らが住んでいた町、ソドムにいよいよ裁きが下されようとしていたので、神様は御使いを遣わし、彼らを救い出されようとしました。ロトは御使いたちに対して、扉を開き、彼らを家に招き入れました。御使いたちは、ロトの家族全員を救い出すための天からの力を持っていました。しかし、御使いたちは受け入れられなかったのです。

最終的に御使いたちは、ロトとその家族を救うために、彼らをソドムから強制的に引っ張り出さなくてはなりませんでした。神様のご計画は、最初から彼らを救い出すことでした。神様は彼らに衣食住を与え、すべてを備えるおつもりでした。しかし、私たちが知っている通り、ロトの妻は振り返り、死んでしまいました。

御使いのメッセージは明白なものでした。「もしあなたが神様に完全に委ねるなら、神様に手綱を譲り渡さなければなりません。もし救い出してもらおうと神様を仰ぐなら、自らの計画を明け渡し、神様の道に従わなければなりません。」簡単に言うなら、聖霊は疑う者を救い出されないということです。それは、聖霊の力を信じない者のことです。時には聖霊が、私たちの人生に変化をもたらすことに応じなければなりません、もしそれこそ神様が私たちを救い出す上で選ばれた方法であるのならば。