2008年7月16日水曜日

信仰の土台

あなたの信仰はどんな土台の上に立てられていますか。聖書は、私たちの信仰は聞くことによってなり、それは神様の御言葉がその“霊的な耳”を与えて下さるので、聞くことが出来るのだと教えています。(ローマ人への手紙10:17参照)私たちの人生に起こる“荒れ野”の経験について、聖書は次の様に語っています。
• 「奔流がわたしを押し流すことのないように、深い沼がわたしをひと呑みにしないように、(中略)恵みと慈しみの主よ、わたしに答えてください。(中略)あなたの僕に御顔を隠すことなく、苦しむわたしに急いで答えてください。」(詩篇69:15~17)
• 「神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。あなたは我らを網に追い込み、我らの腰に枷をはめ、(中略)我らは火の中、水の中を通った。」(66:10~12)ここで、誰が私たちを困難に導いたと言っていますか。神様御自身です。
• 「わたしは迷い出て、ついに卑しめられました。今からは、あなたの仰せを守らせてください。卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」(119:67、71)これらの聖句は非常に明確です。困難に遭うことは良いこと、むしろそれは祝福でさえあると言っています。

詩篇の作者の証しを考えてみて下さい。「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ、苦しみと嘆きを前にして、主の御名をわたしは呼ぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救いください。』」(詩篇116:1~4)ここに、主を愛し、大変な信仰を持っていた僕がいます。しかし彼は痛みと、苦しみと、死の悲しみに直面していました。

このことは、聖書のいたる所で見ることが出来ます。信仰への道は、洪水と火の道を通らなければならないと、神様の御言葉ははっきり宣言しています。「あなたの道は海の中にあり、あなたの通られる道は大水の中にある。」(詩篇77:19)「見よ、新しいことをわたしは行う。(中略)わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」(イザヤ43:19)「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ43:2)「わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う、恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。」(イザヤ41:13)

最後の聖句は、非常に重要です。私たちがどんな荒れ野に直面しようと、父なる神様は、私たちの手を取って下さるというのです。しかし、荒れ野を通るものだけが、この慰めの御手を受け取ります。神様はその御手を、困難の奔流の中にとらわれている人に差し伸ばされます