2008年7月24日木曜日

神様の炎は燃え続けています

残念ながら今日のキリストの体の大半は、近代版の乾いた骨の谷に似ています。それは堕落したクリスチャンたちの真っ白な骨に溢れた荒野です。聖職者や敬虔なクリスチャンたちは、絶えず付きまとう罪の故に、燃え尽きてしまっています。彼らは恥に満ち、自分で作ったほら穴の中に引きこもってしまっています。エレミヤの様に、彼らは「主の名を口にすまい。もうその名によって語るまい」(エレミヤ書20:9)と自分自身に誓っています。

神様は、エゼキエルに尋ねた質問を、今日私たちにも尋ねておられます、「これらの乾いた骨が生き返ることが出来るか?」と。この質問に対する答えは、明確な「はい」です。どうやって?それは神様の御言葉により、信仰を新たにすることによってです。

主の御言葉は、焼き尽くす炎のようです。実際、御言葉は私たちが絶望の闇にある時の、唯一の光です。それはまた、「すべてはおしまいだ。お前は炎を失ってしまった。もう二度と炎を取り戻すことは出来ない」と敵が私たちに偽りをささやく時、唯一の防御となります。

私たちを暗闇から引き出す唯一のものは、信仰です。そして信仰は、神様の御言葉を聞くことから来ます。私たちはただ、私たちの心に植えつけられた御言葉にしっかりしがみつけば良いのです。主は「わたしははあなたを見放したりしない。だから絶望する必要などない。諦める理由など、どこにもない。わたしの言葉に安きを得なさい」と約束されました。

あなたは「しかしこの暗闇は、今まで経験したことの無い様な闇。今まで何千ものメッセージを聞いてきたけれど、どれも今となっては何も役に立たない」と思うかも知れません。心を荒立てないで下さい。神様の炎は今もあなたの内に燃えています、あなたにそれが見えなかったとしても。そしてあなたはその炎を、あなたの信仰の燃料に注ぐのです。これは神様に対する、信仰による行いです。もしあなたがそうするならば、あなたの疑いや肉欲は、焼き尽くされるでしょう。

神様の御霊は、すべての乾ききった骨に再び命を吹き入れます。御霊は、彼らの内に植え付けられた御言葉を思い出させているのです。そうすることで、かつて死んでいた者が、生き返るのです。彼らはエレミヤの様に叫びます、「神様の炎が私の心の中にずっと閉じ込められています。もう押さえつけておくことが出来ません。主の力が私を引き上げるのを感じます。神様は私に命を吹き込んでおられる。私は神様が与えて下さった御言葉を語り、神様の憐れみと癒しの力を宣言します」と。