2008年10月30日木曜日

地獄を揺り動かす祈り

ダニエル書が書かれた時、イスラエルはバビロンにて捕囚とされていました。そして長年のミニストリーを経て、6章でダニエルは80歳になっていました。

ダニエルは常に祈りにある人でした。そして年老いた今も、ゆったりした生活を送ろうという気はありませんでした。ダニエルが落胆したり、燃え尽きたりしたとは、聖書のどこにも記されていません。その反対で、ダニエルは始動しかけたところでした。聖書は、80歳になっても、彼の祈りが地獄を揺り動かし、悪魔を怒らせたと記しています。

ダレイオス王はダニエルを王国において、最も高い位に昇進させました。彼は3人いた大臣の一人で、他の2人と共に、王子と120地方からの総督を統べ治めていました。ダレイオス王は、他の2人よりもダニエルを気に入っており、彼に政務と、裁判官や知識人達を教える担当の長としました。(ダニエル書6:3)

もちろんダニエルは、非常に忙しい預言者でした。多忙なスケジュールに、長時間の会議の数々と、彼に圧し掛かっていた圧力は想像するに、た易いものでしょう。しかしダニエルから祈りを取り上げるものは、何もありませんでした。どんなに忙しくても、彼は決して祈ることを止めなかったのです。祈りは、彼にとって最も大切な任務であり、他のいかなることよりも優先されるべきものであり続けました。一日に3度、彼は大臣としての責任や要求や義務から抜け出し、主との時間を持ちました。彼はただ、周りのすべてから撤退し、祈ったのです。そして神様は、彼に答えられました。ダニエルは彼の知識、導き、お告げ、預言のすべてを、ひざまずいて祈る時に与えられたのです。(ダニエル書6:10参照)

地獄を揺り動かす祈りとは一体どんな祈りだろう、とあなたは思われるかも知れません。それは国や教会が堕落してしまっているのを目にする、従順で信仰に満ちた主の僕から来ます。この人はひざまずき、主に向かって叫びます、「主よ、私はこの環境に馴染んでしまいたくありません。この堕落した時代にあって、あなたが力を握っていることを証しする、生きた例として下さい。他の人が祈っているかどうかは、関係ありません。私はあなたに向かってお祈りします。」と。

忙し過ぎてお祈り出来ないのですか。「祈りによって受け取ります」と言っているのですか。「神様は私の心を御存知だ。私がどれだけ忙しいかも知っておられる。日中を通して、頭の中でお祈りしている」と自分に言い聞かせておられるかも知れません。

神様は、私達と二人きりで、ゆとりをもった時を持ちたいと願っておられます。そうならば、祈りはただリクエストを伝えるだけの時間ではなく、愛と献身の行いとなります。