2008年10月9日木曜日

疑いが生じるとき

「(イエスは)40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。』」(マタイによる福音書4:2~3)

イエス様が肉体的に弱さを覚えていた時、悪魔は最初の誘惑を持ち出しました。

空腹を覚えることは、罪ではありません。だとすれば、ここでの問題は一体何でしょう。サタンはイエス様にこう、挑戦したのです。「もしお前が本当に神様なら、神の力を持っているはずだ。今、お前は困難な状況にある。神がお前に与えた力をもって、自分自身を救ったらどうだ。ちゃんとその力を用いることが出来るか試すため、神はお前にその力を与えたのではなかったのか。」

ここに、心から神様に従おうとしている人達が直面する、最も狡猾な誘惑の一つが記されています。イエス様の例の様に、あなたは神様に対して情熱を持っています。神様に完全に委ねようと、心に決めてきました。すると主は、あなたを荒野での経験へと導かます。しばらくすると、疑問が生じます。あなたは徐々に忍耐力を失い、あなたの人生における、神様の永遠の目的を疑い始めます。そしてあなたが、祈りによって勝利を得ようと努める一方で、サタンの誘惑は、その激しさを増すばかりのように感じられます。

敵はあなたが、御父から独立して行動することを望んでいます。悪魔は、「お前の苦しみは、神様から来るものではない。この苦しみに耐える必要はないのだ。お前は、御霊によって、その内に神の力を秘めている。言葉を語り、自分自身を解放すれば良いのだ。その空腹を満たすのだ」と言います。

サタンの最初の計画は、力不足を生み出すことでした。彼は、もしイエス様がパンを求められた時に、神様がその叫びに応えられないことを、願っていたのです。もし天の力が働かないなら、キリストが御自身の神性を疑い、地上での永遠の目的から離れられるかも知れない、と考えたのです。次にサタンはイエス様が、御父の言われたことだけを行うように遣わされたのだと知っていました。ですからサタンは、イエス様が御自身の福利のために、ここで御父に背く様、説得しようと試みたのです。そうすることで、もしイエス様が苦しみから逃れるために、ここで御力を用いられるなら、後に十字架を避けるためにも、同じ事をするだろうと考えたのです。

では、どうやってイエス様は、悪魔の誘惑に応えられたのでしょうか。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイによる福音書4:4)キリストが言わんとされたこと、それは「わたしが地上に来たのは、自分の必要を満たしたり、身体的な快適さを求めたりするためではありません。わたしは自分を救うためではなく、人類に施すために来たのです」ということです。

苦しみの極致にあってでさえ、イエス様は御自身の永遠の目的を、見失われませんでした。もし主が荒野での経験を通して、委ねることと憐れみの心を学ばれたのなら、私達も同様にすべきです。