2008年10月3日金曜日

試練

「神は彼を試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨てておかれた。」(歴代誌下32:31)

私達は、人生の大きな試練に立ち向かう心備えが出来ていないと、神様に示すことに必死になっています。しかし、神様は人を試されます。もしかしたら、あなたが直面している大きな試練や、抱えこんでいる重荷は、神様からの試練なのだと考えられませんか。

「神はアブラハムを試された。神が呼びかけ、『あなたの息子、(中略)イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさい。』」(創世記22:1~2)神様は国家全体を試され、その心がどこにあるかを探られました。「主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。」(申命記8:2)

歴代誌下32章31節に、素晴らしいことが記されています。神様は、偉大なる王を試すため、彼を捨てておかれたのです。「神は彼を試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨てておかれた。」

主の僕が神様の御業を心から追い求める時、一見、完全に見捨てられたかの様な状態に置かれることが、しばしばあります。その僕は忍耐力の限界を試され、地獄の力にたった一人で向かい合わなければならないかの様に感じます。神様が祝福を注がれた人は皆、この様な方法で試されてきたのです。

あなたは今、慣れない環境に置かれていますか。見捨てられ、孤独であるかの様に感じていますか。予測出来ない敵との戦いに、負けそうになっていますか。これらは試練にあることのサインです。

いつも勝利することが望ましいのですが、万が一、あなたが試練に負けてしまうことがあっても、次のことを覚えていて下さい。神様は勝敗に関わらず、試練の後のあなたの態度と、あなたの心の内に何があるのかに関心をもっておられるのです。

イエス様は、私達を決して見捨てられたり、見放されたりしないと、約束してくださっています。しかし聖書は、御父が私達を試されるために、その臨在をとどめられることがあると、記しています。キリストでさえ、十字架の上で孤独な時を経験されました。この様な状況にある時にこそ、私達の救い主は、私達の弱さに心を動かされ、「わたしはあなたが信仰に躓いてしまわない様、祈っています」と囁きかけてくださるのです。

イエス様は、私達が自分の十字架を背負い、彼に従わなければならないのだと、おっしゃっています。(マタイによる福音書16:24参照)この十字架とは、何のことでしょう。それは、誘惑に陥りやすく、弱さを持った肉体のことです。その肉体と共に立ち上がり、信仰によって進むのです。そうすれば、神様の力が、あなたの内で完成させられます。あなたの十字架と罪が、重過ぎると感じていますか。そうであるなら、どうかあなたの十字架を背負い、歩み続けて下さい。神様はそれを御存知で、その重荷を取り去られるために、あなたの側におられます。