2008年9月19日金曜日

神様を試みるとは

イエス様が神殿の屋根に立たれた時、サタンはこうささやきました、「さあ、ここから飛び降りてしまえ。もしお前が本当に神の子なら、神が救って下さるだろう」と。

「(悪魔は)言った。『神の子なら、飛び降りたらどうだ。「神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える」と書いてある。』」(マタイによる福音書4:6)

サタンのずる賢さが分かりますか。サタンは、聖書にある一つの約束を取り上げ、イエス様がそれに命を懸けるよう、図ったのです。サタンは、「神がお前と共にいると言っているが、その証拠を見せてみろ。お前の父は、すでにわたしがお前を苦しめることを許された。そのどこに神の臨在があるというのか。今ここから飛び降りることで、神がお前と共にいることを証明出来る。もし神がお前と共にいるのなら、きっと無事に着地出来る様、備えてくれるはずだ。そうすれば、お前の確信も確かにされる。もしそうでないなら、自分は独りなのかと悩み込むより、死んでしまった方がましだ。神が共にいることを証明するには、奇跡が必要だ」と言いました。

イエス様は、これにどうやって答えられたでしょうか。イエス様は、こう言われました、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」(4:7)ここで言う「神を試す」とは、イエス様は何を意味されたのでしょうか。

古代のイスラエルに、その例を見ることが出来ます。10回に亘り、主はイスラエルの民に、御自身の正しさを証明されました。神様の民は、主が彼らと共におられることを、目に見える形で証明してもらったのです。しかし毎回、民は同じ質問を繰り返しました、「神様は私達と共にいて下さるのだろうか」と。神様はこれを「神を試みること」とされます。イエス様もまた、この「神を試みる」という同じ表現を、サタンへの返答に用いられました。これはどういうことでしょうか。それは、神様の臨在を疑うことが、重大な罪であるということを、私達に示しています。私達は、神様が共におられるか、疑うべきではないのです。

イスラエルにされたのと同じ様に、神様は私達にも、すでに証拠を与えて下さいました。まず神様の御言葉が、いかに神様が私達の近くにいて下さるか、何度も約束して下さっています。次に私達それぞれの人生で、いかに神様が何度も私達を救い出されたか、証しすることが出来ます。三つ目に、私達には、何世紀にも亘り神様の臨在を記している、聖書が与えられています。

聖書は明確です。私達は目に見えるものではなく、信仰によって、神様と歩むべきです。そうでなければ私達も、不信仰なイスラエルと同じ結果を招いてしまいます。