2008年9月9日火曜日

完全なる委ね

主に完全に委ねきった人生を送るための方程式は、存在しません。私が皆さんにお分かち出来るのは、このことについて、神様が私に教えてきて下さったことだけです。神様は、どうやって私が神様に完全に委ね切るかについて、2つの基本的なことを教えて下さいました。

一つ目は、例え人生のどんな小さな事柄においても、神様が私に御心をお示しになりたいと望んで下さり、またそれを待っていて下さるということを、確信することです。私の内におられる聖霊が、私に対する神様の御心を御存知で、御霊が私を導き、守り、語りかけて下さるのだと、信じなければなりません。

「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。(中略)その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。」(ヨハネによる福音書16:13~14)

もしかしたら、あなたは今、浅はかな決断がもたらした、苦しみの中におられるかも知れません。もしそうであったとしても、主はあなたにこう、約束しておられます。「あなたの内なる耳が、わたしの霊があなたに『こちらに行きなさい。こうしなさい。それをしては、いけません』等と、語りかけるのを聞き分けます。」

二つ目に、私達は揺るぎない信仰をもって、神様の導きに従う力が与えられるよう、祈らなければなりません。聖書は「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません」と語っています。(ヤコブの手紙1:6~7)神様が私達に何かするよう語られる時、私達は完全に神様の道に従い、またそこに留まるための力が必要です。50年以上に亘る私のミニストリーの中で、サタンや肉が、私の心の中に疑いや疑問の種を、いつも植えようとしていることを学びました。イエス様が「いいえ」と言われたことに対して、私が「はい」と言ってしまわないよう、私は天からの力が必要でした。

私達の多くは、「主よ、あなたがお語りになったことは覚えています。でもあなたの声だったか、いまいち確信が持てません。あなたの御声を聞き分けるほど、自分が霊的に訓練されているか自信がありません。どうかお願いですから、このことに関して、扉を閉ざすか開けるかして、御心を示して下さい」と祈ります。

これは、主がその子ども達に望んでおられる、信仰に満ちた対応ではありません。皆さんは好きなだけ、何時間でも、何日でも、祈ることが出来ます。しかし、もし皆さんが信仰によって祈らないなら、すなわち、イエス様が約束されたように、聖霊があなたを導かれると信じないなら、決してあなたに伝えられようとしている、神様の思いを持つことが出来ません。主が言われることに対して、あなたがどんなことでも受け入れ、疑うことなく従う決心がつくのを確認されるまで、神様は待っておられます。