2008年9月3日水曜日

瞬き時代

多くのクリスチャンは、聖書を定期的に読み、それが私達に与えられた、神様の生ける御言葉であると信じています。聖書では何度も何度も、神様の御声を聞いていた世代のことを目にします。「そして主はこう言われた」という言葉に続き、何度も何度も神様がその民に語られるのを読みます。しかし、そのクリスチャンの多くが、今日では神様がその民に語られることがないかの様に生きています。

新しい世代の信者は、祈ったり、御言葉が何を言わんとしているか尋ね求めたりせずに、完全に自分一人で決断を下してしまいます。多くの信者は、ただ自分のしたいことを決め、それから神様の承認を求めます。彼らは自分の決断を推し進め、その祈りは、「主よ、もしこれがあなたの御心でないなら、私を止めて下さい」というものだけに止まります。

私達は「瞬き時代」と呼ばれる時代に生きています。人々は重要な決断を、瞬きする間に決めてしまいます。あるベストセラーの本は、このコンセプトに基づいて書かれました。その題は、「瞬き―考えずに考える力」(原題Blink: The Power of Thinking Without Thinking)です。この本の論説は、「自分の直感を信じなさい。瞬きする間にする決断こそが最善だと、証明されているからです」ということです。

私達が日々耳にする、私達を押し急かす「瞬き言葉」を思い出してみて下さい。「これは一世一代の大チャンスです。一晩で大金持ちになれます。でも、このチャンスは今だけです。さあ、今すぐ行動に移して下さい。」

この様な考え方は、教会をも汚染し始めています。それは「瞬きクリスチャン」だけでなく、「瞬き牧師」による決断によって影響を受けているからです。当惑した多くの教会員達が、私の元に同じ様な内容の手紙を書いてみえます。「私達の牧師は、教会成長セミナーから帰って来てすぐ、『今日からすべてが変わります』と宣言しました。先生は私達の教会が、人々を引き寄せるトレンディーな教会に生まれ変わるべきと、一晩で思い立たれたのです。先生は、このことについて祈る様、私達に勧められることもありませんでした。私達教会員は、困惑しています。」

ほんの数年前まで、クリスチャンの合言葉は、「そのことについて祈りましたか。神様を求めましたか。兄弟姉妹が、祈りによって支えてくれていますか。信仰に知恵を仰ぎましたか」ということでした。皆さんは、これを実行されていますか。この一年の間で、幾つの重要な決断を、ただ神様を尋ね求め、心からの祈りによって決めましたか。それとも、それらの重要な決断の幾つを、瞬きする間に決めてしまったでしょうか。私達に人生のすべてを委ねることを、神様が望んでおられるのは、私達を惨事から守ろうと願っておられるからです。なぜなら私達の「瞬きの決断」の多くは、大惨事に終わることが少なくないからです。