2008年8月12日火曜日

愛の備え

「(あなたは)彼を迎えて豊かな祝福を与え、黄金の冠をその頭におかれた。」(詩篇21:3)初見では、このダビデの詩篇は、少し不思議な感じがします。ここで使われている“与える”という言葉は、英語の聖書で“prevent”すなわち“防止する”という訳がなされています。それは普通、何かを妨げる時に使うもので、祝福とは共に使いません。直訳するならば、「主はダビデが祝福を受けないようにされた」となります。

しかし、聖書の“prevent”は全く異なる意味を示しています。それは、“予期する、先に立つ、あらかじめ見越し実現する、期日前に支払う”という意味があります。さらに、ほぼすべての事例において、それは何か好ましいことを示しています。

イザヤは私たちに、この様な喜びを垣間見せてくれます。それは神様が、あらかじめ必要を予期し、それを実現させて下さることから来ます。「彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。」(イザヤ書65:24)

この聖句は、私たちに対する素晴らしい神様の愛を描いてくれています。明らかに、神様は私たちを祝福したいと待ち焦がれていらっしゃいます。神様は私たちの人生を、主の愛と恩恵で満たす準備が出来ているので、私たちがそれらを求めるまで待つことが出来ないでいらっしゃるのです。ですから、神様は介入して、私たちに憐れみ、恵み、愛の御業を成して下さるのです。そしてそれは、神様にとって最上の喜びとなるのです。

これこそが、ダビデが詩篇21篇で語っていたことです。「主よ、あなたは私が、あなたの愛と恵みを求める前に、それらを注いで下さいます。そして、私が求める想像さえつかない程のものを、与えて下さいます。」

ダビデは霊の領域において、神様が彼に対して行った、素晴らしい御業を思い出して言っているのです。それは、ダビデが敵から勝利を得たこと、祈りに答えられたこと、力に打ち勝ったこと、言葉に言い表せない程の喜びを感じたこと等です。そして神様はこれらすべてのことを、ダビデが祈りに入り、心の重荷を下ろしたり、願いを示したりする前に成されました。ある時ダビデは、神様の前に心を注ぎ出しましたが、神様がすでに敵を打ち負かすための備えをして下さっていたことに気付きました。ダビデの勝利は、彼が戦場に近づくそのずっと前から、すでに確約されていたのです。