2008年8月29日金曜日

神様は人生を通してそれを成される

いかに神様が人々を神の宮に呼ばれるか、人々に語りかけられるか、人々を救われるかについて、お話しましょう。神様は、人々の人生を通してそれを成されます。主は、神様を愛する人々から放たれる証しの光を通して、神様の教会を立て上げられます。それは彼らが正しい方法を用いているからではなく、彼らの人生を生きているから、神様がそれを可能にされるのです。

キリストの人生は、家庭に、近隣に、町に、職場に、光をもたらします。どうやったらこの人生を手に入れることが出来るでしょうか。それは、信者の一人ひとりが、とがめることなく、神様の憐れみの証しとして、正しく生きることに要約されます。その様な僕は、正直で、自分を捨て、腹黒いところが全くありません。彼らは、イエス様に完全に従う人生を歩み、いつでも他の人々のために仕える準備が出来ています。

パウロは「(神)の御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえ、(中略)盲人の案内者、闇の中にいる者の光」であると自負している僕について語っています。(ローマ人への手紙2: 18~19)パウロが記述する、この様な聖徒は賞賛に値します。

この光について、ある例を挙げましょう。最近のことですが、ニューヨークのある会社の社長が、私たちの教会に電話してきました。牧師のニール先生が、その電話に出ました。その社長は、ニール牧師に私たちの教会に集っている、彼の二人の女性社員について話しました。彼女達は職場の誰とも異なると、社長は言いました。彼女達はいつも、礼儀正しく、微笑を浮かべ、周囲に親切で、決して不平や陰口をたたきません。「彼女達は何かが違う。是非あなたにお会いして、何が違うのか知りたいのですが」と社長は言いました。

彼女達は、イエス様によってその職場に置かれた、天の燭台です。そして彼女達が放つ光は、職場全体を照らします。どうやってでしょうか。それは彼女達が、キリストの命を内に持っているからです。彼女達の上司は、それがこの世が与えることの出来る以上のものだということに気付いたのです。

その社長はユダヤ人でした。彼がリバイバル集会への招待に応じたと思いますか。教会が作成したトラクトを読んだと思いますか。おそらくどこかのファイルにしまい込んで、二度と目にすることはなかったでしょう。しかし彼は、本当の光に応じました。それは、キリストに秘められた私たちの人生にある光であり、二人の心砕かれた女性によって、日々表された光です。

私たちがキリストの人生を完全に生きる時初めて、地域の人々に光をもたらすことが出来ます。権威を持って語るには、自分達が語るメッセージをまず生きていなければなりません。神様は人生の小さいことを通して光を輝かせられると、私たちに教えて下さいます。