2011年1月7日金曜日

主はわたし達の義

「主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。」(エレミア23:5-6)

神様は預言者エレミアに「Jehovah Tsidkenu」(Je-Ho-va Sid-KAY”-noo)という啓示を私達が現在直面している危機と似たようなときに彼らに与えました。ではわたし達にこの聖書箇所はどんな意味を持つ のでしょうか。『主はわれわれの正義』とは何であってイエスの役割をその中でどのように理解したらいいのでしょうか。

使徒パウロは聖書の幾つかの箇所で神様の義の定義を示しています。

• 「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた. 」(ローマ4:3)
• 「アブラハムには、その信仰が義と認められた」(ローマ4:9)
• 「このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。」(ガラテア3:6)

これらの聖句はアブラハムがどのように真の義とせられたかを示すものです。「彼は信じた。」

使徒パウロは義に対して「主による定義」をも示しています。「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強めら れ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。だから、彼は義と認められたのである。」(ローマ4:20-22)

儀についてこれより明らかには出来ないでしょう。義とは、神が必ず御自身の言葉を守ることを納得して、神の約束を信じることなのです。