2011年1月5日水曜日

父を知る

子供たちは危機の時、親の資質を知ります。子が痛み、苦しみ、必要がある時、親の深い愛と犠牲を認識します。私が子供を育てる時、私は好きなことに ついて言いませんでした。「私が親で、私は我慢強く、優しく、あなたを愛している。何時でも、何が起きても、あなたを許します。」と言う必要はありません でした。そんな事を宣言するのは馬鹿げています。何故なら、私の子供は彼らが問題に当たった時、私が彼等をどれだけ愛したかを知っているからです。今や彼 らは結婚して子供が居ますが、私の息子や娘は新たに私を知る体験をしています。彼らは、彼らの人生が新しい場面にめぐり合い、その時の私の行動と対応を通 じて私を学んでいます。

天の父を知るにも同じことが言えます。アダムの時からキリストの十字架まで主はその民に、御自身の資質を絶え間なく啓示してきました。神はただ「この名がわたしを表す。ではそれを学びなさい。故に私を知るだろう。」の詔を与えるだけではありませんでした。

ヘブル語の主の名は主の名に関わる不思議な栄光と備えを表しています。そして、神はその名が宣言するご性質をその民にじかに行い、その誠実を啓示します。彼は御自身の子の必要を見ておられ、悪魔の姦計を見抜き、民の為に御自身か介入します。

皆さん、天なる父を時間を掛けて、心から知って下さい。聖霊があなたの必要な時に与え給う天なる父に多面的備えを気付かせて下さるように求めて下さい。そして聖霊に「わたしはいる」神を知る知識を求める資質を願って下さい‐神だけが必要なものの全てです。