2010年1月26日火曜日

「彼は死にましたが、信仰によってまだ語っています」

ヘブル人への手紙11章を読むと、ここに記されている人々に共通する、ある点を見つけ出すことが出来ます。一人ひとりが、神様が愛される、特別な特徴を示しました。それは何だったでしょうか。彼らの信仰が、主との深い親交によって生まれたものだということです。


実 際のところ、神様との深い親交なしでは、神様を喜ばせる信仰を持つことは不可能です。ここでいう親交とは何を意味するでしょうか。それは、神様を追い求め ることから来る、神様との深い関係のことです。この様な親交は、個人的な絆、交わりを示します。それは私たちが人生における何よりも、主を追い求める時に 生まれます。


「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(ヘブル人への手紙114) ここで幾つかの重要点を挙げたいと思います。先ず、神様御自身が、アベルの献げ物を認められたということ。次に、アベルは主にいけにえを献げるために、祭 壇を築かなければならなかった、ということ。そして、彼は傷のない子羊を献げ物としただけでなく、その脂肪をも献げたということです。「アベルは羊の群れ の中から肥えた初子を持って来た。」(創世記44


これが何を意味しているのでしょうか。レビ記は脂肪について、こう記しています。「これが宥めの香りとして、燃やしてささげる食物である。脂肪はすべて主のものである。」(レビ記316) 脂肪は献げ物のうちで、心地よい、宥めの香りを立ち上らせる部分だったのです。炎は動物のこの部分に、すばやく燃え移り、焼き尽くすことが出来るので、宥 めの香りを生むのです。脂肪は神様が受け入れられる、祈り又は交わりの一種となります。それは隠れた祈りにおける、私たちの主へのミニストリーを表しま す。そして主ご自身が、この様な親密な礼拝が、主に宥めの香りとなって立ち上ると語っておられるのです。


聖書でこの様な礼拝が最初に記されているのは、アベルによる礼拝です。ですから“信仰の章”と呼ばれるヘブル書11章 に、アベルの名が記されているのです。彼は、自分の持っているものの中から、最高のものを主に献げる、主との親しい交わりをもった、主の僕でした。ヘブル 書が記す様に、アベルの見本は、生ける真の信仰の証として、今日もまだ生き続けています。「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(ヘ ブル人への手紙114