2010年1月15日金曜日

すべての鍵を持っておられる方

聖書を通して、神様の優しさは、人々が困難、惨事、孤独、苦しみにある時に最も強く現れます。その例の一つを、ヨハネの人生に見ることが出来ます。3年 間に亘り、この弟子はイエス様の胸の内にいました。それは何の困難も試みもない、安らぎと平安と喜びに満ちた時でした。その間ヨハネは、ほとんど何も啓示 を受けませんでした。彼はイエス様を、人の子としてしか知りませんでした。では、ヨハネはいつ、キリストが栄光の中にいる啓示を受けたのでしょうか。


そ れはヨハネが鎖につながれ、エペソへと連れて行かれた後のことでした。彼はパトマスと呼ばれる島に追放され、そこで強制労働に科せられていました。彼は隔 離され、交わることも出来ず、慰めてくれる家族も友達もいませんでした。彼の人生の中でも最低の、まったく絶望に満ちた時でした。


そんな時にヨハネは、主の啓示を受け、その啓示が聖書の最後の本、黙示録として記されたのです。暗く沈んだ時を過ごしていたヨハネに聖霊の光が射し、ヨハネは今まで見たことが無い様なイエス様を目撃しました。彼はイエス様を、神の御子として見たのです。


ヨ ハネはこの啓示を、他の弟子達といる時にも、イエス様が共に地上を歩まれていた時にも、受けませんでした。しかし何年も経って、彼が最も暗い時を過ごして いる時に、「わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」(黙示録118)と栄光のうちに宣言されるキリストを見たのです。この驚くべき啓示に、ヨハネはひれ伏しました。しかしイエス様は彼を引き上げ、その御手にある鍵を彼に見せました。そしてイエス様はヨハネに「恐れるな」と言われたのです。(117


こ の様な啓示は、祈りの内にある、困難に遭って痛みを覚えている、すべてのキリストの僕に与えられると、私は信じます。聖霊は、「イエス様は命と死のすべて の鍵を持っておられる。だからすべての者の行方は彼の御手の内にある」と言っています。この啓示は私たちの心に、平安を与えるためのものです。ヨハネの様 に私たちも、イエス様が私たちの前に立って命と死の鍵を持ち、「恐れるな。わたしがすべての鍵を持っている」と語りかけられるビジョンを見るべきなので す。私たちの応答はどの様なものであるべきでしょう。ヨブの様に信仰をもって、こう答えるべきです。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられ よ。」(ヨブ記121