2010年1月14日木曜日

人の恵み

神 様はしばしば、御使いたちを用いて人々に働かれます。しかしほとんどの場合、神様は思いやりに満ちた主にある人々を用いて、その恵みを放たれます。これ が、神様の恵みを共に分ち合う者とされた理由の一つです。私たちは、お互いに主の恵みを放ち合う様に造られているのです。私はこれを、“人の恵み”と呼ん でいます。


「わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。」(エペソ人への手紙47)神様の恵みによる慰めがあるので、私たちは人生を悲嘆することだけで過ごすのは不可能です。どこかの時点で主の癒しに触れ、神様の恵みの給水所として立て上げられていくのです。


パウロが「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。(中略)キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせるために」(エピソ人への手紙378)と語っているのは、正にこのことであると信じています。「あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思っているからです。」(フィリピ人への手紙17) ここでパウロは、非常に意義深い発言をしています。彼は「私が神様の御座に行って恵みを受け取るのは、あなた方のためなのです。私はあなた方にとって、批 判的ではなく、憐れみに満ちた羊飼いとなりたいのです。あなた方が恵みを必要とする時、恵みを放てるようになりたいのです。」と言っているのです。神様の 恵みは、パウロを憐れみ深い羊飼いにし、悲しむ者と共に嘆く者とされました。


ペテロはこう記しています。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」(第一ペテロの手紙410)神様のさまざまな恵みの管理者、もしくは分配者となるということは、どういうことでしょう。私はその様な人でしょうか。それとも自分の痛み、悲しみ、困難のためだけに祈りの時間を費やしているでしょうか。


愛する皆さん、現在の困難は私たちの人生において、大変貴重な何かを生み出してくれています。それは私たちの内に、痛みをおぼえる他の人々のために恵みと憐れみを求める賜物を形成しているのです。私たちの困難は、恵みを分け与える者になりたいという願いを与えてくれます。