2009年11月13日金曜日

励ましのミニストリー

使徒行伝27章 でパウロはローマ行きの船に乗っており、その途中にシドンという場所に寄港したことが記されています。パウロは囚人を取り仕切っていた百人隊長に、シドン にいる友人を訪ねても良いかと聞きました。「ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。」(使徒行伝273)ここでも神様が信者を用いて、他の信者を力づけられた例が見られます。

また、パウロがある兄弟に向かって書いた第二テモテでも同じことが言えます。

「ど うか、主がオネシフォロの家族を憐れんでくださいますように。彼はわたしをしばしば励まし、わたしが囚人の身であることを恥とも思わず、ローマに着くとわ たしを熱心に探し、見つけ出してくれたのです。(中略)彼がエフェソでどれほどわたしに仕えてくれたか、あなたがだれよりもよく知っています。」(第二テ モテ116-18

オ ネシフォロはパウロの霊にある息子の一人で、彼を非常に愛し慕っており、パウロが苦しみにある時、彼を探し出し無条件に深く愛を注ぎました。ある時、パウ ロが牢屋に入れられている時、オネシフォロはパウロを見つけるまで、町中を探し歩きました。その理由は単に、「私の兄弟が苦しんでいる。船が難破する恐れ に遭い、今はサタンからの攻撃に遭っている。彼を励ましにいかないと。」ということでした。

励 ましのミニストリーは、痛みや苦しみにある人達を探し出すということを含んでいます。今日教会では、力について色々耳にします。癒しを与える力、失われた 魂を勝ち取る力、罪に打ち勝つ力・・・しかし私が言いたいのは、励まされ、新しくされた人から、素晴らしい癒しの力が流れ出るということです。うつ、精神 的な苦痛、また悩みに満ちた魂は、様々な肉体的な病をもたらします。しかし、力づけられ、励まされた魂-受け入れられ、愛され、必要とされていると感じる ことが出来た魂-は最も必要とされている癒しの香油となります。

こ の励ましのミニストリーは、旧約聖書にも見ることが出来ます。ダビデがサウル王に追跡されていた時、彼は追っ手から逃れるために日夜走り回り、非常に疲れ また苦しんでいました。この間、ダビデは神様の選んだリーダーやその民から拒絶されたように感じました。けれど非常に重要な瞬間、彼の友であるヨナタンが 訪ねてきました。「サウルの子ヨナタンがダビデのもとに来て、神に頼るようにダビデを励まして、言った。『恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶ ことはない。イスラエルの王となるのはあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となるだろう。』」(サムエル記上231617

この言葉はダビデにとって十分なもので、すぐさま彼の魂はもう一度立ち上がるまでに強められました。私たちはこの様な例を聖書のいたるところで見かけます。神様は、御使いやビジョンではなく、愛する者を励ますために、仲間の信者を遣わされるのです。