2009年11月6日金曜日

天国

イエス様は、弟子たちがいかなる場面においても耐え抜くことが出来るような平安が必要だとご存知でした。彼は弟子たちに言われました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハネ1427)これを聞いた弟子たちは、驚いたに違いありません。彼らにとっては、信じられないような約束―キリストの平安が彼らの平安となる―が与えられたからです。

十二人は、イエス様と過ごした三年間で、彼の内にある平安というものに驚いていました。彼らの先生は、恐れたことなど一度もなかったのです。いつも冷静で、周囲に乱されることなど決してありませんでした。

キ リストが、霊的に怒りを覚えられることはありました。時折、心を動かされ涙したこともありました。しかしこの地上で、イエス様は平安にある人生を送られま した。彼には父からの平安がありました。誘惑にある時も、あざけられ、拒絶される時も。嵐に襲われた時も、船で他の弟子たちが恐れに震える中、イエス様は 平安の中で眠っておられました。

弟 子たちは、イエス様が彼を殺そうと謀る暴徒の手によって、裁判官の前に引きずり出されるのを見ました。それでもイエス様は冷静にその場を去り、何事もな かったかのように平安に満ちていました。これらの出来事は、弟子たちの中で様々の論議を生んだことでしょう。「なぜ彼は嵐の中で眠っていられるのか。大衆 が彼を崖から突き落とそうとする時に、どうして平静でいられるのか。人々があざけり、侮辱し、つばきをかけても、決して反撃しようとなさらない。彼を取り 乱させるものは何もない。」

そしてイエス様は、この同じ平安を彼らに与えられると約束されたのです。弟子たちがこれを聞いた時、驚きにお互い顔を見合わせて言ったことでしょう、「もしかして、先生が持っておられるのと同じ平安が与えられるということか?すごいことだ!」

さらにイエス様は続けて言われました。「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネ1427)イエス様が言われる平安とは、無感覚で関心のずれた社会のことではありません。また、お金や物質的なもので手に入れる、お金持ちや有名人が味わう一時的な平安でもありません。それは、キリストご自身の平安、人知を超えた平安です。

キ リストが弟子に彼の平安を約束された時、それは彼らに、また私たちにこう語られていたかのようです。「わたしは、あなた方がこれから直面することを理解出 来ていないことを知っています。わたしが今から背負う十字架とその苦しみも理解出来ていません。けれども、わたしはあなた方の心を平安へと導きたいので す。これからあなた方に起ころうとしていること、それは永遠に続くわたしの平安なしには出来ないことです。あなた方には、わたしの平安が絶対に必要なので す。