2009年10月26日月曜日

あなたの将来を一切委ねなさい

ある日主はアブラハムを訪れ、途方もない使命を与えました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12:1)


何と驚くべきことでしょう。突然神様がある人を選び出し、「すべてのものをおいて、この地を出発しなさい、あなたの家も、親戚も、故郷もおいて。私はある地にあなたを遣わします。その場所までの行き方は、行きながら示します。」と言われたのです。

アブラハムは、主からのこの途方もない使命に対して、どう応答したでしょうか。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(ヘブル書11:8)

神 様は、何をされようとしていたのでしょうか。なぜ、一人のために世界中を探し、彼にすべてのものを見捨て、地図も与えず、行き先も教えず、目的地も教えな いまま出発するよう、命じられたのでしょう。神様がアブラハムに課したことを考えてみて下さい。神様は、アブラハムとその家族を養うと、決して約束された わけではありませんでした。どれ程遠い道のりになるかや、いつそこにたどり着くのかも伝えませんでした。神様が最初に語られたのは、たった二つ、「出発し なさい」と「わたしがあなたを導きます」ということでした。

実質、神様がアブラハムに言われたのはこういうことでした。「今日から、あな たの将来を一切、わたしに委ねなさい。あなたの残りの人生を、一日ずつ、わたしの御手に委ねなさい。わたしがあなたに求めるもの、アブラハム、それはあな たの人生をわたしが与える約束のために捧げきることです。もしそうするなら、わたしはあなたを祝福し、あなたを守り、あなたを想像もつかないような所に導 こう。」

神様がアブラハムを導き入れたかった場所、それは神様が、キリストの体である、私たち一人ひとりを導き入れたいと思っておられる 場所です。アブラハムは、神学者が呼ぶように、私たちの典型となった人でした。それは、神様の御前でどのように歩めばよいか、という見本を示してくれた人 だからです。アブラハムの例は、私たちに、神様を喜ばそうとする人が何をすべきか、教えてくれています。

注意して下さい。神様がアブラハ ムを召し出された時、アブラハムは決して若くはありませんでした。おそらく彼は、安泰した家庭を築くための計画を立てていたことでしょう。そして神様から の召しに応える上で、たくさんの葛藤があったことでしょう。しかし、アブラハムは「主を信じました。主はそれを彼の義と認められました。」(創世記15: 6)

使徒パウロは、キリストを信じ、キリストを慕う者は皆、アブラハムの子孫である、と語っています。そしてアブラハム同様、私たちも、将来の一切を主の御手に委ねようとするので、義と認められるのです。