2009年10月22日木曜日

平安と安全

私が何よりも恐れていること、それはキリストから離れてさまよってしまうことです。霊的に怠惰や無頓着になったり、祈らなくなったり、何日も主の御言葉を 仰がないで過ごしたりする生活を考えるとぞっとします。世界中を旅する中で、悪に向かって押し流されてしまう「霊的な津波」を目の当たりにしてきました。 教団全体がこの津波に飲み込まれ、気が付けば霊的な無関心さに覆われてしまっているのです。聖書ははっきりと、熱心なクリスチャンでもキリストから離れて しまうことがあると、警告しています。


た だ一心に平安と安全だけを求め、かろうじて救いに繋がっているだけのクリスチャンは、霊的に大きな代価を支払わなければなりません。では、どうやったらキ リストから離れたり、素晴らしい救いをないがしろにしたりすることを、防ぐことが出来るでしょうか。パウロがその方法を語っています。「だから、わたした ちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。」(ヘブル書2:1)

神様は、私たちが御言 葉を速読出来るかなど、気にしておられません。毎日たくさんの章を読んだり、早く聖書を通読したりすることは、私たちに満足感や達成感を与えてくれるかも 知れません。しかし、それよりも重要なのは、読みながらきちんと霊の耳をもって聴くことが出来ているか、そしてそのことを熟慮することによって、心でしっ かり聴き取ることが出来ているか、ということです。

揺らぐことなく主の御言葉に留まることは、パウロにとって決して些細なことではありま せんでした。彼は愛の内にこう注意を促しています。「だから、わたしたちは聞いたことをもっと真剣に考慮すべきです。さもないと、それらのことが抜け落ち てしまうかも知れないからです。」(ヘブル書2:1)また、パウロはこのようにも語っています。「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟 味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別です が。」(第2コリント13:5)

パウロは、彼らが失格者達だと言っている訳ではないのです。そうではなく、「キリストを愛する者として、 自分を吟味してごらんなさい。霊的な評価をしてみて下さい。キリストと共に歩むことがどの様なことか、十分理解出来ているはずですから、どれ程キリストが あなたを愛しておられるか、決してあなたを見捨てることがないか、あなたが救いに預かっているかを分かっているはずです。でも、自分自身に聞いてみて下さ い。あなたのキリストに対する関係はどうなっているでしょう。一心にその関係を守ろうとしているでしょうか。困難な時、キリストに頼っていますか。」

もしかしたら、「少しさまよっているようだし、霊的にうたた寝してしまう傾向にあるかも知れない。確かにだんだん祈らなくなってきている。もう少し主との関係をきちんとしなくては。」と気付いたかも知れません。

「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。」(ヘブル書3:14)