2009年10月23日金曜日

天の父は知っておられる

イエス様は、私たちに明日のことなど考えず、将来をすべて神様の御手に委ねる生き方をするよう、呼びかけておられます。「だから、『何を食べようか』『何 を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがた に必要なことをご存知である。」


「何よりもまず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイ6:31~34)

イ エス様は何も、私たちに計画を立てたり、将来について全く何もするな、と語っておられたりするのではありません。むしろ、「明日のことについて、思い悩ん だり心を騒がせたりしなくて良い。」と言っておられるのです。考えてみて下さい、私たちの悩みのほとんどは、将来何が起きるかという心配からきています。 私たちは常に、「もしも・・・」という言葉にさいなまれています。

「もしも経済が悪化して、仕事を失くしてしまったらどうしよう。どう やって家のローンを返済しようか。どうやって家族で生活していけば良いだろう。医療保険を失くしてしまったらどうしよう。もしそんな時に病気にでもなっ て、入院しなければいけなくなったら、おしまいだ。それとも、もし私が試練の中で信仰を失ってしまったら。」私たちはみんな、幾千もの「もしも」という恐 れに満ちています。

イエス様は、私たちのそんな「もしも」という思いを止め、こう語りかけて下さいます。「あなたがたの天の父は、どう やってあなたがたを養っていこうかご存知でいらっしゃいます。」さらに、「心配することは、ありません。あなたがたの父は、これらのものがすべて、あなた がたにとって必要であるということをご存知で、決してあなたがたを見捨てられません。父は必ず、あなたがたに食物を与え、着る物を与え、すべての必要を満 たして下さいます。」

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってく ださる。(中略)野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の 一つほどにも着飾ってはいなかった。」

「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:26、28~30)

私 たちは喜んで、今までの罪を差し出し、私たちの過去をすべて主に委ねます。主は、私たちの過去の失敗や、疑いや、恐れのすべてに対する赦しを与えて下さる と信じています。だとすれば、将来のことについても、同じようにしようではありませんか。結局のところ、私たちは将来に関して権利を主張したり、自分の夢 にしがみついたりします。神様抜きで計画を立ても、後からその計画を祝福し、夢や願いを叶えて下さいと、お願いするではありませんか。