2009年6月3日水曜日

父なるあなたの神から恵みと安らぎをあなたへ

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。(ピリピー4:6)

私は信仰による祈りが全てに対する答だと信じます。ここでパウロが「事ごとに」と言っていますが、それは「全てについて祈り、あなたの願いが聞かれ、答えられる事に感謝しなさい」との意味です。私達はそれを第一に、他の事を空しく全てやってみた後ではなく、祈るように言われています。「まず、神の国を求めなさい」。(マタイ6:33)

今、沢山のクリスチャンはサタンに虐げられています。彼らの家庭は揺らぎ、恐れと罪悪感に苛まれ、生活全体に試みられています。私達の働きに寄せられる手紙にもそんな問題が沢山書いています。

しかし、正直言って、試みにあっている人達のうち、余りにも少ない人達が熱心な祈りもって主に向かっています。決められた時間に神に祈る人達は少ないのです。屡、人々が密かな場所に、主に重荷を委ねるべく、悲しみを叫ぶべく、行かないので、絶望が彼等を覆います。主に行かない代わりに人々は彼らの問題を友人、牧師、カウンセラーなどに頼り、いつも待っておられる主を蔑ろにします。神様は一番最後です。

神はイスラエルのようこの世代に悲しまれておられるでしょうか。神は仰いました。「わたしの民の、わたしを忘れた日は数えがたい。」(エレミア2:32)

私達が神様に先ず願うことを神様は喜ばれます。私達が神様と独りで特別な時間をもって、私達の心の底からの思いを注いで、御前に私達の願いを並べて欲しいのです。もし、私達が決めて時間をとって神と交わらないならば、私達がどうして神を愛すると言えるでしょう。神はあなたの祈りを聞いておられ、答えられます。しかし、神があなたと静かに語るべく、神はあなただけと特別な時間が必要です。

毎日、主の聖き臨在に入る時、私のいつもの願いは聖霊が私に神の御言葉を啓示し、私が真に神の託宣者となることです。私の言葉がキリストの肢体にあって、信じる者達を力付け、義を示し、奮い立てることと神に信じます。

神と皆さんが神をあなたの願いにおいて信じる特別な交わりの時間が持てますように。