2009年4月21日火曜日

神が望んでおられる事はあなたの信仰のみ。

神はあなたの家や、車、家具、貯金、持物を欲しているのではありません。神はただあなたの信仰-御言葉にたつ堅い信仰-です。 外見で信仰深く見える人に欠けているものです。ある人があなたより霊的と見えるが、その人は必死でそう見えるように努力しているだけかもしれません。神はあなたを見て宣言します。「そこに義なる人がいるではないか」。何故、神はそう見るのでしょうか。あなたは自分が義になるために無力であると認めており、あなたは主が御自身の義をあなたに与えると信じているからです。

パウロは、アブラハムがそうであった同じ理由で、私達が義と数えられると言っています。「だから、彼(アブラハム)は義と認められたのである。しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。」(ローマ4:2224) 

あなたはこう言うかもしれません。「私は神がイエス様を甦られたことを信じている」。しかし、問題は主があなたの壊れかけている結婚をよみかえられると信じるかどうかです。あなたは霊的に死んでいる親戚に命をもたらすことを信じますか。あなたは悪癖のどん底から引き上げられると信じますか。あなたはあなたの忌々しい過去を消し、あなたの蝕まれた日々を補えるかを信じますか。

全てが成す術がないと見ええる-不可能な状況で助けもなく、希望の欠片もない-時、あなたは神があなたの必要を見ておられるエホバジャイラと信じます。あなたは神があなたへのご自身の約束を必ず実行すると信じますか。そして、その御言葉一つでも行われなかったらこの天と地は崩壊する事実を信じるかです。