2009年4月15日水曜日

神に全く頼る

神はこの世に対して神に全くより頼む人々を欲されています。神がイスラエルと言う「取るに足りない国」を選び彼等を荒野に置きました。そして、彼等を状況に関わらず神を信頼できるように試みました。神はイスラエルが証して欲しいと思っていました。「私達はどのような試み、困難、私の能力を超えるものでも乗り越えることができる。私は全ての試みに神と共にいるからである。神は私の助けだから。」

モーセがイスラエルに言ったことを思い出してください。「それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、」(申命記8:3) 主は彼らにこう言っています。「余があなた方をこの道に導いた。それは悪しき道ではなく、余は道すがら必要な糧と肉を持っている。そして余は天から必要なものを送るように備えている。あなたが受けるように待っている。しかし、それをすぐにしない。時が来るまで待っている。あなたが自分の力に頼ることを止めるまで待っている。余は危機の時にあなたに与える。自分の力では、人の能力の限界を体験し、余があなたを救う体験、奇跡を受けて欲しい」

今、主は全く神により頼む人を探しておられます。主は神が全知全能で彼らの側に立っていることを言動で証し出来る教会を望んでおられます。神は神を愛する人達に力強く働く神をこの救われない世が見せる事を欲されます。

ヨブは宣言しています。「しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう。」(ヨブ23:10) これは驚くべき言葉です。特に彼が置かれた状況を考えれば。

ヨブは人として最も甘受し難い苦難を体験しました。彼は悲劇的事件で子供を全て失うばかりか、持ち物も、富も失いました。終いには健康も害しました。これらの事はとても急で、絶望的でした。

しかし、神がヨブをこの道へと歩ませたのです。そして主のみがこれらの終着を知っていました。神がこの事をしたので、サタンがヨブを試すことさえ許しました。それでヨブは神をその中で全く見出せなかったのです。「見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。退いても、彼を認めることができない。左の方に尋ねても、会うことができない。右の方に向かっても、見ることができない。しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう。わたしの足は彼の歩みに堅く従った。わたしは彼の道を守って離れなかった。」(ヨブ23:810)

ヨブはこう言っています。「神は私がどのように耐えるか知っている。そして、その歩みを神はすべて知っている。我が主は私を試みている。私はこの歩みでもっと強い信仰に導くと確信がある。私は染みが取られ、金より尊い信仰よって洗われている。」