2008年11月26日水曜日

聖霊と共に歩むことの奥義

サムエル記上9章には、サウルが逃げ出したロバを探す様、父親から命じられたことが記されています。僕を従えたサウルは、ありとあらゆる所を探し回ります。最終的に彼は落胆し、探すのを止めようとします。しかしその瞬間、サウルの僕は、彼に先見者であるサムエルのことを、「彼だったらロバを探し出すことが出来るかも知れない」と話します。

ここでのサムエルは、神様の御心を知る者として、いわば聖霊の様な働きをします。彼の内には、ロバの居場所以上のものが、与えられていたのです。彼はサウルが神様によって選ばれ、天の永遠の目的を果たすために、大きな役目を担っていることを知っていました。

サウルが訪ねて来た時に、まずサムエルがしたことは、祝宴を開くことでした。(サムエル記上9:19参照)これこそ、御霊が私達に望んでおられることです。それは私達が、主の祝宴の座につき、神様の御心に耳を傾けることを意味しています。

サムエルはサウルに、共に交わることが出来る様、心配事をすべて捨て去るように命じました。(サムエル記上 9:20〜25参照)サムエルはこう、言っていたのです。「ロバの居場所に気を向けてはなりません。それは既に解決しています。それよりもずっと重要なことが、起ころうとしているのです。それには、神様の御心に触れ、神様の永遠の目的を知ることが必要です」と。

その夜、交わりの時間を持った後、二人だけで密接な対談が持てる様、サムエルはサウルに、彼の僕に席を外してもらうように命じました。(サムエル記上9:27、10:1参照)

神様がここで何を言わんとしていらっしゃるか、分かりますか。「もしあなたが、本当に御霊によって歩みたいのなら、本当にわたしの油注ぎを望むのなら、ロバの居場所以上のものを、求めなければならない。わたしの臨在に入り、わたしの御心と願いを知らなければならない。わたしの願いは、あなたに油を注ぎ、わたしの御国のために用いることなのだ。」

愛する皆さん、ロバの居場所のことなど忘れて下さい。居場所だけでなく、その他すべてのことを忘れ去ってしまうのです。聖霊があなたに、神様の奥義を解き明かされるままに、委ねて下さい。神様の臨在に固く立ち、あなたに御心を分かち合われるのを待つのです。これこそ、御霊に導かれて歩むことの極みです。

主の臨在の内に時を過ごすことで、失われた世にキリストを示すことになります。

「わたしたちは落胆しません・・・真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。」(第二コリント人への手紙4:1〜2)使徒パウロは、私達が真理を表す者として召されているのだと語っています。もちろん私達は、イエス様こそが真理であると知っています。ではパウロが「あなたがたは真理を表す者だ」と言う時、彼は一体何を意味しているのでしょう。

パウロはここで、目に見える表現のことを語っているのです。「明示」とは、あることに光を当て、それを明確にし、理解し易くするということです。簡単に言うならば、パウロは人々がイエス様を知り、理解し易くなる様に、私達は召されているのだ、と言っているのです。私達一人ひとりの人生を通して、キリストの性質が輝き出されるべきなのです。

パウロはこの「キリストの明示」に関して、さらに述べています。彼は私達が、世界に対する神様の手紙なのだ、と言っているのです。「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それはわたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。」(第二コリント人への手紙3:2〜3)私達の人生は、聖霊によって書かれ、世の人々のために送られた手紙なのです。そして私達は、周囲の人々によって、読まれ続けます。

一体どうやったら、神様の世に対する手紙になることが出来るのでしょうか。それは御霊の働きによってです。私達が救われた瞬間に、聖霊は私達の内にイエス様のイメージを焼き付けられました。そしてそのイメージを、私達の内に日々映し出します。聖霊の使命は、私達の内にキリストのイメージをはっきりと、また正直に映し出し、人々の良心に語りかけるようにすることです。