2008年11月18日火曜日

「アバ父よ」

聖霊は、私達とイエス様、及び私達と父なる神様との関係を、簡素化してくださいます。 私達に「アバ父よ」と神様に呼びかける様、促してくださるのは、聖霊です。

この表現は、聖書時代に東洋で用いられていた、養子縁組にまつわる習慣から来ています。養子縁組の書類がすべて整い、養父によって承認されるまで、養子とされた子どもは、養父をただの父としてしか呼ぶことが出来ません。「アバ」とは“私の父”という意味なので、養父を「アバ父よ」と呼ぶ権利がないのです。

しかし、書類が整い、登録が済み、承認を受けるや否や、養子とされた子どもの世話役は、彼を養父の元へと連れて行きます。そしてその時初めて、彼は「アバ父よ!」と呼ぶことが出来るのです。養父の腕に抱かれ、その子は、「私のお父さん、あなたはただの父ではなく、私のお父さんです」と叫ぶのです。

これこそが、聖霊の働きとミニストリーです。御霊はキリストについてのあなたの世話役であり、あなたを父なる神様の元へと導きます。そしてこう、私達に告げるのです。「書類はすべて承認を受けました。あなたはもう、孤児ではありません。法的に、神様の子とされたのです。あなたには、ひたすらに愛と富と力に満ちた父がいます。彼に抱きつきなさい。『わが父よ』と呼んでごらんなさい。あなたに神様がどれ程あなたを愛しておられるかを示すため、わたしは来たのです。神様はあなたを愛しておられ、あなたを求めておられます」と。

私達の叫びは、これ以上とない喜びと感謝からくるものであるはずです。私達の内におられる御霊は、「あなたは神様の相続人です。イエス様が勝ち取られたものすべてを相続する者です」と叫んでおられます。この様な素晴らしい財産を相続することが出来るのは、あなたのお父様が宇宙一裕福な方だからです。神様に近づくことをためらう必要はありません。お父様はあなたに対して怒りを燃やしておられる訳ではありません。貧しさに打ちひしがれ、喜びと霊的勝利を失った孤児の様に振る舞うのは止めましょう。あなたは見捨てられてはいないのです。お父様の存在を、存分に楽しめば良いのです。

私達は見捨てられていないばかりか、迷いや苦しみの時にも、聖霊が私達と共にいてくださいます。
聖霊の任務とは、キリストの花嫁をその花婿がいない間、慰めることです。「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネによる福音書14:16)「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(26節)
“慰め主”とは「痛みや悲しみの時になだめる者」という意味です。それは痛みと悲しみを和らげ、安堵をもたらし、慰め、励ます者のことです。しかし私は次のギリシア語の定義が気に入っています。「あなたを温かで、安全な寝床に横たえてくださるお方。」あなたの魂が冷たく暗い闇に沈む時、御霊は、その心地よく、慰めに満ちた御手によって、あなたをやわらかな布団に寝かしつけてくださいます。

御霊を慰め主と呼ぶことで、イエス様は実に確実な予測を立てられました。イエス様は、彼に従う者達が苦しみの目に遭うこと、終わりの日に大きな痛みと苦しみがあり、いかに慰めが必要となるかを予測されたのです。

聖霊は、御自身が神様の力のすべてをもって、あなたの内に住まわれているかを思い起こさせることで、あなたに慰めをもたらします。ですからあなたは、こう叫ぶことが出来るのです。「世界中のすべての力より、悪魔のすべての力より、私の内におられる方の力は勝っている」と。神様は私達を悪魔の手から守られるために、聖霊を遣わされ、その力を与えられたのです。それは、私達の霊を引き上げ、打ちひしがれた思いを追い出して、神様の愛によってあなたの心を満ち溢れさせるためです。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。そして希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5:3、5)